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海陽学園と世界の動き

5月 21, 2012に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

先日、民放のテレビ番組の一部で海洋学園の小特集がありました。世界に通じるリーダーを育てようとトヨタ自動車・JR東海・中部電力などからの支援を受けて「男子のみ全寮制で自発的な人間を育てる中等教育機関」とのこと。そこで私がすぐに考えたのは、「これでは全然ダメ。お話にならない。何故この時代に同じ年代の男子のみが寄り集まって同じような生活をしなければならないのか。」。これからのリーダーの育成???それは、いかにいろいろな価値観や考え方のある中で組織を率いたり組織の中で自分を光らせていくかということで、一元化ではないはずです。イスラム教徒はお祈りが仕事や学業より優先。フランス人は個人や家庭のプライバシーが仕事や学業より大事。将来彼らはこのような価値観の中で活躍していけるのだろうか?全くこれでは時代に逆行しています。

「同じ釜の飯を食って、みんなで汗をかいて頑張ろう。サムライ同志よ!」という価値観は正しいと思います。しかし、それは多様化した価値観や多元化した考え方のほんの一部のはずです。たまにはこういうこともあって良いし、たまたま将来このような環境にあればこういうやり方もあり、という程度です。それより、日本や韓国またはアフリカの諸国を除けば、女性と一緒にリーダーを組まねばならない機会、女性が多くプロジェクトや外部支援機関で混在しているなどはどんどん多くなっているのが事実です。。これは世界の大きな潮流です。加えて、違う年齢・違う民族・違った宗教や文化などの信念や規範の違い・違った政治的思想などもっといろいろな人の中で育つ中で国際人としてのリーダーの育成となると思います。同じ年齢の男子だけで寝食ともに同じような生活をしていくという発想は、現代の世界の動きの中では前時代的発想といってもおかしくはないでしょう。この学園では「似たようなものが集まって、お互いに空気を察して以心伝心、論理と説得と創造ではなく、感情的まとまりで物事を判断して気持ちをひとつにして進む」という教育方針ではないでしょうが、そういう環境を作っておいて「自発性云々」とは・・・、あまりにも狭い自発性になると思うのですが。つまり多様性の中では役に立たない。わたしであれば、女子を入れて(環境や文化にも大いに問題がありますが、女子にリーダーや専門家が異常に少ないことが日本最大の人的資産の喪失であると前から考えてますが)、違う世代や外部の組織との協力を図り、外部の講師も派遣すると考えるでしょう。

ここでも一般日本人の世界をよく知らない、サイバー世界もよく知らない、という面がでていると思います。実際の新興国家の女性の進出は目を見張るものがあります。こういった国では、古い慣習や宗教原理主義などをはじめとする女性達への虐待や大きな差別は確かにまだまだあります。とはいっても、あまり報道されていない新興国で新たに生まれてきている中流階級と都市部の状況をここで発表しようと思います。これらの国家全体の情勢が違って見えてきます。アラブ連邦では65%が大卒者における女性の比率です。これは、ブラジルでは60%、中国では47%です。インドでも都市部については、親たち曰く、「息子であろうと娘であろうと、教育支援が最重要課題。」が当たり前になってきています。そして、組織のトップとしての職業を望む女性は、米国の52%に対してなんと新興国の方が高く、ブラジル80%、ロシア60%、インド86%、中国76%、アラブ連邦90%と、新興国の女性の視線の高さは驚くばかりです。これらの国々では、既婚女性の収入は2割を超えて彼女らの配偶者より高いレベルにあるという情報もあります。また国連の統計を見てみますと、議員と管理職の女性の締める比率は、米国やカリブ諸国で40%台、カナダや欧州で30%台となっております。新興国は、これらに比べると低いですが、教育レベルがどんどん上がっていることと視線の高さを考えるとこのようなレベルになることも近い将来の話でしょう。日本では今でも管理職と議員はそれぞれ10%位で韓国と並んで先進国では最低レベルです。

日本の最重要課題は、今ある危機としてはまず国家財政の立て直しが一番になると思います。一方で、根本的な大問題は、教育でしょう。人材の劣化を食い止めなければなりません。政治家に「詰め込み」か「ゆとり」かなど勝手に2者択一にさせられて、これについてテレビでタレントや評論家にああだこうだとの議論を聴いてそのまま納得している国民もその日本の教育の犠牲者だと思います。「西郷隆盛」と「西南戦争」、その年号と暗記するのではなくて、その年号も名前も名称もテストの問題に書かれていていいんです。その時代背景で国家の発展にどの様な影響を及ぼしてたか、それでかえって問題を起こさなかったのか、自分が西郷ならどのようにしたか、これらを説明して論ずることがこれからの時代にもっと大事です。

追記:この学園を題材にしたのは、筆者のインスピレーションのきっかけにすぎません。未だ新しい学校なので今後ますます発展が期待されるものと思います。

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21世紀のリーダーとは?

5月 18, 2012に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

今、世界の元首・大統領・首相など一国のリーダーを見ると、必ずしもリーダー不足とは言えないと思います。ドイツのメルケル首相は、ついこの前のサルコジ大統領と共に「欧州の一つの家」の基軸であるユーロを守るため、ギリシアという国民やその代表者である政府が「緊縮はしたくないがユーロ離脱はいやだ」として志を決めれない国をはじめ、いくつかの「おんぶさり」国家をまとめあげなければならないという、欧州のみならず世界の経済の安定、言葉を変えれば歴史的岐路に立ち、これからはサルコジ氏無きあとは孤軍奮闘をしなければならないが、信念を曲げず論理を展開しながらよくやっていると思う。

そして英国のキャメロン首相である。徹底的な「緊縮財政」を進め、暴動が起ころうが国家権力でふさぎ込み、野党をはじめ多くの論客を前に国家のあるべき方向性を示し、国家を引っ張っていく姿があります。長期的な国家の繁栄のためには、一部の反対や一定の犠牲を覚悟で臨み、どの様な強い力に対しても相手方に現行の方針や施策以上の考え方や妙案が現れない限り説き伏せ、ぶれない、信念が論理に基づき、その信念を曲げない。その姿はサッチャー元首相の鉄の意志と不屈の実行力、ブレア元首相の信念を説いたうえで得てきた論理に基づく説得力と明晰な頭脳を思い起こさせます。英国はサッチャー以降、一代おきに「超」の付くリーダーが国を引っ張ってきました。それは国民の政治的関心の高さが生み出したものとも言えると思います。以前私が英国に住んでいた際にはお気に入りの番組ですが、「Question time」というBBCの番組は、一般出演者が時には辛辣に時には持論を振りかざすような質問に対して、大臣や議員が方針・施策・施策の実行などに関する説明を通して回答をしていくものです。論理的な回答が出来なければ無能呼ばわりの筈ですが、妥当なものから無理やり言いくるめるものまで持論を語りつくすのです。どこかの国の首相のように外交の場ですらメモを視ながらというのに比べると、英国では数字などのデータを取り上げるときに以外はどんな議員でもそんなことはありえません。英語に自信のあるかたはYouTubeで見てください。日本のようにごまかしや大本営的論議でなく、熱くて論理的なのがわかると思います(たまに熱くなりすぎて論理を壊している場合もありますが、ご愛嬌で・・・)。日本のように狸の政治家を切り崩してた田原総一郎のようなインタビュアーは必要ありません。

米国では国家の議員や政府の要人は、ほとんど弁護士である。欧州では、修士や博士を持った高学歴者が非常に多い。同じ先進国でも日本では2世3世議員をはじめ下をみればスポーツ選手や漫才師、多少良くて物書き。前者は親から譲り受けた利権をまもるのに一生懸命、やる気がでても勉強より票を目的とした人気取りのための周りとの付き合いの方が忙しいのでそのうち現状の分析を忘れそれに伴い信念も失いやる気も落ちてきて後はご存じのとおり。後者はせいぜいマスコミを使って人気取りをする位。最近でこそ枝野大臣や橋本市長などのように弁護士資格をもった頭脳明晰な政治家がやっとでてきて、官僚や高級公務員らも操りずらくなっていますし反対に操る方向になっています。論調も論理的で明確で分かりやすい。現代社会のように情報や法令規制をはじめ極めて複雑な状況を変えていくには頭脳が明晰かつ信念をもったリーダーでなければ国や地域国家群を指導していくのは難しいのでは。

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60代定年?ちょっと待った。自分の決断ではないでしょう!

2月 10, 2012に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

「転換:未来の仕事はここにあり(筆者訳)」を読み終えました。超微小技術の発達により2010年に健康に生まれた子供は100歳を超えて生きる。今生きている大人の人々も同様に長寿平均を伸ばす。知識や技術が情報として世界の誰の手にも入るようになる。50億人の人口がインターネットのクラウドを通じて交信し、遠隔地間でのプロジェクトが増える。世界中の人々の考え方や生き方が変わる。あまりにも世界レベルで経済が発展してしまったので人々の燃料への需要が増え石油やバイオ燃料は高騰し地球も燃料の生み出す廃棄物に耐えれなくなり、人々は移動せずに自宅でコンピューターを通して自分で仕事を進める。2025年の世界の人々の仕事と生活の状況であります。

この本の洞察の深さと未来を見抜く英知は、タイムズ紙の2009年の世界の20人のトップ・事業思想家に選ばれている某名門大学の教授が率いる大型プロジェクトにより導かれ、200名以上となる世界の多くの有名企業の経営者等・社会支援団体の幹部などが参加したプロジェクトメンバーによるものであります。私がここ5年間に読んだ本の中で最高の書籍であります。この本の内容を理解することにより、仕事のために人生のために自分と自分の環境をどのように変えていくべきなのかについての予測をたてることができます。2025年。今から10年から15年位後の時代は加速度的に変わっていきます。自分の道しるべをつくるための基盤といっても差し支えない名著と思います。

おそらく、「もう60代だから、会社勤めで定年60歳(または65歳)だから引退しよう。」というのが普通の日本人であると思います。しかし、ちょっと待ってください。この本でも簡単な算数を使えば先進国は70歳まで年金は出ないことがわかるとしています。それに加え、お金を中心に据えた文化を作りつつ、最も莫大な消費をして地球の資源をむさぼってきたBaby Boomer、日本でいえば団塊の世代がその寿命を年々延ばしながらより少数の現役世代の資産に全面的に頼っていくなど道義的にもありえないとしています。加えて、21世紀に生まれた人生が一世紀を超える世代までとは行かなくても、現代の大人の世代も、上記した超微小技術による医療で細胞レベルの診察ができるために癌細胞を血管の中から変えていくなどの技術などにより健康な長寿が予想されるとしています。そうであれば、80代90代と健康な長寿が見込める日本人が20年も30年も引退してずっとテレビばかりみて生活できるでしょうか。それで楽しいでしょうか。

この本の予想がただしければ、50代60代が現役世代のちょうど真ん中にあたります。技術が革新し、世界の壁が少なくなり、自宅に居ても多くの可能性があれば、あと20年30年の激動の時代のために、数年かけて自分の新たな深い知識や技能を磨いたり、自分の持っている深い知識や技能を他の世界の人々に伝えることも、社会のための起業も、いろいろな選択ができるはずです。なにしろ、「定年」という言葉を持つ国はもしかしたらあるのかもしれませんが、数十か国の友人を持つ私でも聞いたことがありません。引退する時期は、自分で選択すべきことであり、会社や政府などの他人が決めるものではないはずです。技術革新は極めて早いテンポで進んでおります。10年後には翻訳者や通訳は必要なくなるともこの本では予測されておりますが、ということはITが使えて、自分の得意分野(ただし世界に通用し、新しい時代に需要があるもの、一般的ではなく極めて専門性の高い能力を持たねば世界を結ぶサイバーワールドではお声はかかりません)さえあれば言語を超えて活躍していけます。それには自分の好きな仕事を選ぶといことも忘れてはいけません。それほど惚れ込んだ仕事、または趣味のように楽しい仕事でなければ、世界で目立つように自分で開発・発展していくことは不可能です。英語をはじめとする言語が堪能になるに越したことはありませんが、返って他の国や民族の文化とそれぞれの環境を理解し配慮できる国際人になっていればITと専門分野でやっていけると思います。加えて、年配だの年上だ、男だのサムライだのと言って威張っていてはいけません。2025年では、上下関係はもう時代遅れ。年齢や性別、民族や宗教の違いを乗り越えて水平の関係が規範となり、協力する力と強調する姿勢が必要となってきます。これらのことは、このブログの主題でもあり、書き続けていることで少しでも国際感覚のある日本人が増えてほしいという私個人の願いにもつながります。

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和製英語、日本人の誇り、日本人の言語力の低下

1月 30, 2012に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

和製英語は毎年どんどん従来の日本語に言い換え書き換えられています。しかし、これが多くなって誰が得をするのでしょうか。おそらく消費者は英語やその他一部欧州語のカタカナ表記が好きだとみて、日本語そのものよりこれらの和製外国語を使うと売り上げがあがると見込むファッション関係や集合住宅などの業界や小売業界の販売部門などでしょう。確かに英語などのいくつかの大国によって話される言葉はそれ以外の言葉を自国語とする国にもある程度浸透するのは事実です。しかし、日本の浸透の仕方は尋常ではない。そのくせアジアでは世界的英語テストのTOEICの結果が鎖国している北朝鮮と並んで最下位ときています。「努力はしたくないが、欧米的雰囲気に包まれていたい」とは解釈したくありませんが・・・。

今回は英語を題材にしますが、和製英語の弊害は以下の通りです:

① 英語を学び使う上で英語が下手になる素地を作る。カタカナで発音する癖も問題であるが、日本語の中に入れているため単語と単語が結びつかない。意味も違ったりその範囲がずれている単語も非常に多い。冠詞や複数形などのほとんどない言語に無理やり入れ込んでいるからこうなる側面もある。カタカタでも発音があまりにもめちゃくちゃなものも多く、どちらかというと他の単語に聞こえてしまうものもある。おまけにファッションや食事ではフランス語、スキー関係ではドイツ語、集合住宅名では欧州の複数の言葉が好まれており、その外来語も和製英語としてそのまま英語で発信する人も少なくない。パソコンやスマホなどの省略も英語として発信したり、かつNot Goodを同じ二音節のNGという和製英語で省略したつもりでいる場合もある。ITの世界などが特にひどい。この最先端の分野では、世界との意思疎通が不可能に近い。カタカナから再度英語(もどき)にされたものは、英語を母国語とする聞き手読み手も苦しめる。

② 自国語をしっかり話したり書いたりしない民族として外国人から情けなく映る。つまり自国の文化を大事にしない民族とみられる。日本人が歴史を通して生み出した美しい表現や面白い言い回しなどを自ら葬っている。日本語を勉強している米国人に「この宣伝のポスターには何故『サン(数字の3)』と書かずに『スリー』と書かれているのですか?」と聞かれ、情けなくてどのように答えたかは思い出せません。

③ 長期的に見て国語の力が落ちる。どんどん多くなる和製英語はカタカナのため、知らない言葉でも漢字で書かれてあれば推測できるものもできない。一方で、英語は接辞語や接尾語・ラテン語の原型をはじめ綴りからいろいろと推測できるが、カタカナでは不可能。またひらがなやカタカナを飛ばして漢字を中心に読んで速読をする技も困難となってくる。漢字と英単語のそれぞれの持つニュアンスもカタカナで代用する段階で多くは抜け落ちてしまう。つまり日本人の学ぶ力と学ぶ効率の二つを阻害しており、それが現在進行中である。本来の日本語の死語が増えて、30年後、50年後、100年後を想像するとそら恐ろしい状況になっているのでは。私は実はこのことを一番危惧しています。

④ 日本語を学ぼうとする奇特な外国人を悩ませ、日本語を学ぶ弊害となる。自国語が英語の場合どこまで英語のカタカナにしてどこまで伝統的日本語にしたらよいかが不明。英語の挨拶もできない日本人が「ユキビタス」など難しい言葉を知っていたりするので理解不能。コンピューターーやパソコンに対するドットコムなど、computerのcomからとった後者は、前者の「コン」ではなく「コム」であり論理的におかしいが、これには目をつぶって丸暗記するしかない。また真剣に日本語を勉強している外国人は、正しい日本語を学んで日本人より上手い日本語を覚えていく場合すらあり、実際「はっと」することもある。

⑤ 年配者など和製英語が不得意な人々との間の情報のやりとりの間に隔たりが起こる。会社の幹部や商店主など多くが年配者向けものですら和製英語が多用されているものもあり、市場が必要とする要件との食い違いもあり。

⑥ カタカナ表記が曖昧またはその言葉の定義が議論をする人たちの中で統一されないままで議論が進むこともよくある。また一般の会話の中では、カタカナ英語で本心を曖昧に隠しながら浅い付き合いをしたい若者達の格好の道具となっているのかもしれない。

⑦ 当然であるが、和製英語をもって外国人と話しても分かり合えなかったり、勘違いをされたりしたり、意味不明であったりする。片言でも「学んだ英会話」で話すと気持ちも通じる。さらに、私の義母はハワイに行っても他の観光客や現地の誰にでも全くの日本語で話すが(電話でも!)、身振り手振りや表情などでおおまかな意志が通じ、気持ちも通じていることが多く実際不思議であるが、彼らは義母を人間として尊敬してくれている様子である。

⑧ 英語学習者は、和製英語と英語の両方の発音や意味の両方を学ばねばならず、意味のない学習時間を割かねばならない。例えばUkraineという国を日本人は「ウクライナ」と言うが同じカタカナでも「ユークレイン」と言った方が近い。あらゆる分野で二つとも覚える労力が必要になる。その時間を数学の学習や仕事の研究に使った方が遥かに実りがある。

⑨ もともと学校教育で英語を身に着ける前に“英語翻訳学”を学んでしまったため、翻訳の癖が抜けず受信した英語を日本語に訳してから日本語で考えて、カタカナ英語も加えながら英語に訳してから発信するときているので、使える英語を身に着けるのは困難。

世界中どこに旅行に行っても英語を知っていると心強いですよね。海外旅行では多かれ少なかれ英語で事が足りることも多いです。しかしこれらはホテルの従業員や旅行業者などが必要に迫られて覚えている場合が多いのです。英語に対してそれ以外の欧州言語が多かれ少なかれその構造が近い欧州であっても、エリート層や旅行関連・国際取引業者など以外の一般の人達はほとんど自国語一か国語しか使えません。まして日本人の多くが今の北朝鮮レベルから、全く歴史的関連性が無く言語構造が全く違った英語を完全身に着けるなど不可能です。もちろん日本人で英語が必要な人または必要となる可能性のある人々はしっかり学ぶべきです(ある程度使えるようなってから、必要であれば翻訳学という形で学べば良いのです!)。しかしここで私が言いたいのは、日本人は自国の誇りをもって、文化に基づく商品の輸出ができるとか外国人観光客を引き付ける程のレベルの高い日本文化を維持すべきです。言語はそのもっとも大事な部分です。日本ではしっかりした研究者の書いたもの翻訳の素晴らしい書籍がごっそりとあります。そこで日本人は和製英語が最小化された文書を基に日本語の速読と熟読能力の両方の力を発揮して知識と技能を磨くべきです。モノづくりやサービスなどの産業分野に関しても、日本人の一定の分野における優位性や過去からつながる技術や考え方を自ら捨ててしまうのではという危惧すら感じてしまいます。和製英語の比率がだんだんと高くなっていますので、いつか例えば数十年後に実質上または揶揄されて「英語もろくにしゃべれない米国の属国」として下げずまれるのが日本の姿とならないように日本人は自分の民族性に誇りを持つべきです。

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日本経済の実質的凋落。貿易赤字~輸出大国からの変貌

1月 17, 2012に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

2011年の日本の貿易赤字
半世紀続いた貿易黒字の終焉

日本経済は、奇跡の復興と言われた1960年代から米国全土を買い付けるのでないかとまでおそれられたバブル経済を含む1980年代末までの高度成長をとげました。そして失われた20年があり現在まで続くのですが。まだ日本のマスコミでは報じられていない世界的英国紙The Economistの情報があります(1月17日)。日本のマスコミや当局はいつまで隠すのか、どの様に発表するのか、または統計をごまかすのか、そして国民がそれに騙されるのか、シナリオは私の頭の中ですでに動いてます。新参者のホリエモンは即糾弾し、老舗大企業の言及を避けたオリンパスの件もそうでしたが。

2011年に日本の貿易赤字が1963年以来のマイナス。左のグラフでは、薄い青がそれを示しております。確かに赤線を割ってます。濃い青は過去の資産となった富を含む累積的黒字ですが、薄い青は日本の現在の経済上の実力を示しているといえます。
この記事が指摘するように原因は、東北大震災・円高・石油をはじめとする資源の高騰があるのは確かです。多くの製造業も生産拠点を海外に移せばこういう結果となるでしょうし、円高でどんどん海外買収を進めている強い日本企業は多い反面で国内での生産や消費にはなかなかつながらないのも事実です。
しかし私の考える問題点はもっと根本的です。確かに今日本で一番問題なのは政治の迷走と方向性や主義の欠落であると思いますが、準じて日本人の多くが現在の危機をその大きさ程度に感じていなくて、考えもしていないためと思います。または前者は後者の結果と言っても過言ではないと思います。一般の日本人は、なんとなく不安で元気がないのです。スポーツをみて「元気をもらえる」「勇気をもらった」と言いながらそのまま普通の生活に戻って、「新たな他人の与えてくれる突発的な感動」のみを探し続けて、これが循環し続けるだけです。今の日本に危機管理がある人というのは、国家財政状態や教育の荒廃を大震災並みに感じ考えている人達のみです。視聴率しだいで放送内容が変わるはず民放の放送局があのような低俗な番組ばかりを流しているのがその証拠です。ニュースや時事問題ですら解説付きであり、「これが回答です」といわんばかです。「暗記教育ここに極まれり」と思うくらいです。ましてやその回答を漫才師やスポーツ選手が解説している場合すらあります。ニュースや時事問題は事実を聞いて自分で仮説をたてて出来れば自分で仮説を証明してそして自分で問題点を探り自分でそれを自分自身や他の人に質問するまでしなければ、グローバル時代の指導者にはなれないでしょう。ここまでやらなくても仮説をたてるかニュースに関する自分の考えを頭で描いてみるなどは少なくとも必要と思います。これでやっと主権者として憲法で定められた国民の権利の行使を全うできると思います。NHK・BSのWorld Waveを視てください。一部解説もありますが、「・・・でありますが、・・・と考えますが、・・皆さんはどうお考えでしょうか・・・を考えてみる時期に来ているのかもしれません。」という具合に決めつけをしませんし、ほとんどの時間は世界で最も大事なニュースを流すだけです。考えたり自分の意見を形成する時間や余裕を与えてくれます。しかしながら、NHKも万全ではありませんし、価値のあると思われるドキュメンタリーも深夜に移動していて、やはり視聴率もある程度影響していることを否めません。やはりインターネットや書籍に移らざるを得ないのかもしれません。
考えない癖とその結果として考える力の衰えは、確かに長時間労働や長い夜の付き合いや阿吽の呼吸や感情的な一体感で物事が決められ実行されていく日本的な環境にも大きな原因があるのは事実です。しかし、鎖国するわけにはいかないのです。少しでも物事を考えていく環境を持たねばグローバル状態の世界では生きずらいことになるのは間違いありません。

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安定と不安定。個人から世界まで。安定は堕落では?

1月 17, 2012に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

日本のテレビを見て老若男女にマイクが向けらた際には、「安定した暮らしがしたい。」「安定した仕事に就きたい。」と自分や世間を憂う言葉が多い。それでは「安定した生活」「安定した職場」は、幸せな人生または少なくとも経済的に長期的な成功を得ることと同じでありましょうか。私は、短期・中期的安定は、長期的には不安定。反対に短期・中期的不安定は、長期的には安定と考えます。但し、後者には、常に自分の剣を磨いておくこと(切磋琢磨)、長期的にみて意味のある活動につくこと、正しい習慣を身に付けそれを継続すること(適度な飲酒をしない、正しい栄養の摂取、適度なストレス度合、などなど)が必須です。簡単なことではありませんが。言葉を替えれば、ここでの私の論点はまじめな人に限るということです。これらの習慣や努力の無い人たちは、反社会的勢力以外のどのような選択をしても安定が不安定にもなり不安定が更に不安定になることも忘れてはいけないと思います。

日本では1060年代から80年代まで30年位もの高度成長経済が続きました。それは、「一生懸命がんばれば、皆がんぱって力を合わせれば少なくとも中流という暮らしを満喫できるものでした。それにはもちろん自分の適性も野望も無視されて、はまってしまったレールから外れれば山師だの根無し草だのと揶揄された面もありました。しかし怪我をしても年をとっても国が会社が面倒を見てくれるという絶対的な信用がありました。銀行や保険会社も同様です。誠意を尽くせば取引先もお客様も寛大でありました。そして長い残業と夜とゴルフの付き合いで疲れようが一生一つの会社に雇用され地道に昇進していけという状況もありました。このような主人と結婚すれば専業主婦になれるという希望もあり、こき使われることもなく趣味の習い事もしながらあまり負担にならない少人数の子育てもできるという夢もありました。そして息子たちも父親のように安定した仕事につき、娘たちはそのような夫と結婚してほしいと多くの家庭では考えてました。

さて、現在はどうであろうか。失われた20年のことはこのブログの読者の老いも若きもご存じと思うのであえて書きませんが、結果として、安定したはずの会社勤めは不安定、もしくは会社が破たんか買収や人材削減済み、公務員は一部削減、破たんした市町村とともに失業、GDP対比でギリシャよりはるかに多い世界一のGDPの約2倍の国債負担率の国家で以前は「親方日の丸」と言われていた層も風前の灯と言えます。

世界に目を向けましょう。ギリシャでは大人の4人に一人が公務員と言われます。彼らは手当が非常に厚く50代から年金ももらえる一種の特権階級です。ご存知のように現在では国家破産ぎりぎりの状態です。ドイツをはじめとする強いユーロ諸国におんぶしてもらって安定を得ました。公務員が多いということは極めて社会主義よりでありますが、その不効率を他の国に頼ってきたのです。公務員として継続して働かせろ、でもユーロから脱退するのは嫌だとだだをこねているだけです。国民の中でもこの公務員層は、安定しているからこそ、享楽に走り、怠惰に走り、時代が変われば一番ついていけない人々となったのです。貴族化した王朝や支配階級が脱落してきた人間の歴史が多くを証明しています。私もオーストリアの貴族の息子の友人がおりますが、いたって普通にITマーケティングに励んでおり努力を怠りません。もう一人の知り合いであったスコットランドの城に住む貴族の娘も学業に積極的でした。現在まで続く欧州の貴族たちは過去からの資産の継続以外はいたって質素であり地道・倹約の精神は先祖から語り継いでいる如くです。

個人に関しては更に沢山の例があります。日本の高度成長期のように成人男子のほとんどが経済的に安定していた時代が去り、女性達は男性におんぶしても安定は得れる確証はありません。彼女らが不安定または将来的な不安をもつことになります。現在のスポーツ界をはじめ経済評論家・弁護士・会計士・ITプログラマー・起業家・料理研究家・ジャズピアニスト・クラシックギタリストからデザイナーまで、日本的組織を離れ活躍している自立した女性達の活躍は目を見張るものがあると思います。勿論旧来の組織の中でも営業や配達・メンテナンスや研究など男性主導の中で少しでも自分を磨きたいとう態度の女性も多いようです。それは不安定が生み出したものともいえます。しかしながら、繰り返しますが長期的安定を得るには努力や正しい習慣が大事です。そして国や会社・夫・父親も頼りきれないのです。実は私は21世紀は、概して戦争ばかりしてきた男性中心の世界の歴史に反して女性中心の共存と共栄、そして環境保護の世界に移行すると思っていますが、その一環かとも思います(21世紀の世界の新しい女性リーダーの活躍を見てください。オーストラリアのギラード首相、ドイツのメルケル首相、タイのインラック首相、民主化に移動中のミャンマーで確実的に当選とされるアウンサン・スー・チー女史・・・)。不安定から安定に続く怪我の功名はまだ続きます。オバマ大統領も不安定な若い時代を過ごしましたし、未熟児で言語障害だったウィントン・チャーチル、会社が軌道にのるまで5回も破産をしたヘンリー・フォード、父親がアル中で死亡して母親が精神病にかかり孤児院や貧民院を転々としたチャーリー・チャップリン、歴史的なジャズ歌手のビリー・ホリディも子供のときにすでに暴力・強姦・貧困・差別の四重苦に苦しみました。

安定は堕落だとしたら、さてあなたはどのような道を選びますか?

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世界の2011年、自然・情報革命・信用

12月 22, 2011に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

個人にとっての2011年、日本にとっての2011年、特定の分野の2011年、いろいろな見方がありますが、今年は世界にとって極めて大きな事態があったのではと思います。ここではニュースとは言わず事態を取り上げます。私が思う今年の世界三大事態とは:

①自然の力と人間の脆さ-70億人の行方

人間は自然を支配しているかのように振る舞ってきたと思います。戦争までして資源争奪戦を行い、企業や個人の豊かさの獲得も自然を蝕んできました。それでは人間は自然をどのように変えていくべきでしょう。否、それは人間の驕りかもしれません。世界のメディアでも日本の地震・津波・原発被害をはじめ、タイやフィリピン・ブラジルの洪水など多くの自然災害が報じられました。自然は必要とあれば牙を剥いて人間や動植物を襲います。その力は人間の立ち向かえるものではないということを証明するかのように。今年は地球の人口が70億人を超えました。ここ2~3年でもブラジルでは日本の国土以上の密林が伐採されて耕作地となっています。人の食糧や燃料の確保とそれにも増して世界的な穀物に係る金融投機の需要を満たすために。人口が増えると特に成人した人間の欲望はその分増えます。地球は痛めつけられた地球の一部を取戻しそれを行ったものを痛めつけるために、人に対する復讐の頻度と規模を拡大し続けるのかもしれません。

②独裁のなれの果てと市民のほう起―情報革命のもたらした貢献

今年亡くなった人達は、エリザベス・テーラー氏やスティーブ・ジョブズ氏、また「もったない」という日本語を使い環境分野で初めてノーベル賞を受賞したケニア人女性のワンガリ・マータイ氏のように日本人にもなじみのある人も多かったといえます。しかし、世界的な独裁者やテロリスト三名、つまりビン・ラディン、ガダフィー大佐、加えてついこの間死亡した金正日という歴史に名を残す悪役等の死亡が重要です。そうはいっても、今もシリアの状況はアサドが市民を虐殺し続けており、予断を許さない状況でもあります。中国でもノーベル賞を受賞されたアイ・ウェイウェイ氏が拘束されるなど独裁者等が起こす行動に対する緊張は今も続いております。それでもなお、中東をきっかけにミャンマーや中国といった軍部や一党支配の続く国にも波及したSocial Mediaをはじめとするインターネットの力で世界中に自由と尊厳を求めた市民の声と行動が充満したことについては、人類の歴史に残る年となったといってもよいでしょう。私の中東や北アフリカの友人についても、アラブの春や初めての選挙などに歓喜をもって興奮している様子が分かります。

③国家の信用リスクの行方

私は米国の会社の評価の仕事の支援をしたことがあり、その関係で資産評価についての学習もしてきました。その中で先進国国家については信用リスクがゼロを前提としてその国に属する会社の価値評価をしていくのですが、日本だけは国債が多すぎて先進諸国のなかでは格付け機関でAAAとはいかないことにすんなり納得してきました。しかし、今欧州ではイタリアをはじめフランスにも格付けの下落が飛び火するのでないかという状況にあります。人間の活動には、国家取引・企業取引から個人に至るまでリスクが伴います。リスクがあるから人は利益を得て、経済活動や自己啓発・学習に取り組み、競争も生み、リスクの負の部分を解消するための社会福祉や保険なども発展してきます。リスクにはいろいろな種類もあって、金利や為替に関わる金融リスク、事業などの推進に関わる事業/業務リスク、国家の負債や制度の充実・治安などに関わるカントリー・リスク、事業を積極的に推進する策に関わる戦略リスク、技術の凡庸化や拡散に係る技術リスク、情報の発展と漏えいに係る情報リスク、そして国家や団体・企業から個人にまで関係する信用リスクなどがあります。この中では、これが下がると他のリスクにも関わる、または他のリスクの一部である、さらにはこれが低すぎると取引をはじめ経済自体が始まらない(つまり経済上は信用が無い)、ともいえるのが信用リスクです。国家レベルでは破たん国家、企業では倒産企業、個人ではブラックリストと言われる破産または金額の大小や返済期間の融通を無視して一律に融資ができない人々がこれに当たります。別の言い方をすると信用リスク不安が高まるとお互いに不安になりお金が動きづらくなり経済活動が滞ってきます。これが国家レベルとなるとその影響は多大です。

今年の世界を最も描き出している動画も紹介します:

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=SAIEamakLoY

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日本企業と外国企業、文化と仕事の進め方、ものの考え方

12月 10, 2011に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

私は現在ある米国の組織と東京都内でプロジェクトに関わっています。私は今まで日本企業・外資・日本に派遣された外国の会社の部門という三種の組織でまたは組織と働いたことがあります。一番目がもちろん日本文化、三番目が外国の文化、真ん中の外資がその真ん中ですが、日本人と外国人の占める率などによって色が変わってきます。

今回は久しぶりに三つ目のパターンで働いていますが、気が付いたことがあります。私は欧米やインドの人たちの仕事と馬が合うらしく、おそらく普通の日本企業の仕事のスピードより2倍から30倍位の速さで仕事が進むし、多少経験がなかったり、その場必要な能力がある人がいなかったりしても付け焼刃でどんどん作業が進んでいきます。間違ってもいいのです。どんどん立ち向かっていきます。それでは内容がてきとうなのでしょうか。それはYesでありNoであります。彼らはお化けの様に漠然としたところから全体の理解から始めます。そして徐々に詳細に近づくのです。これはある意味効率がよく、別の意味でいえばそれができない人はお役御免とも言えます。

私個人は、外国企業と一緒に働くという場合にぴったりと上手くいくことが多いです。他の普通の日本人にはできないようなことの結果も高く出します。日本企業は、ここの資料のこの数字の意味は、誰がこういう発言をした、あの作業の量は、など細部からはじまるのです。私はこういうのはあまり得意ではなく全体を掴みながら物事を考えていくので細部を聞かれても覚えてない、聞いてない(忘れているのかも)、そうだったかな、といった状態で日系企業では信頼を勝ち取れないことも多々あります。私は、日本ではよく「変わっている」と言われ変人の一部らしいのですが、海外にいくと普通の人となるのも不思議です。

実際、欧米やインドの組織の方が効率が良いのです。組織の人全員がだんだんと全体を把握してくるので上方の疎通がうまくいき、仕事が格段に早く進むので早く帰れるので次の日まで疲れを残すことがあまりありません(個人差、組織の内容によって違いもありますがここでは総論の話です)。日系企業で働く欧米やインドより来た人々の苦労が分かります。反対に問題なのは海外に進出する日本企業です。東南アジアのように日本企業が生産などの指導してきた国はまだ良いのですが、それ以外であると細部より攻めて全体をまとめるのは時間もかかるし彼らの私生活や会社外の活動にも影響してくるので海外進出した日本企業で働く現地人は辟易することも多いと思います。欧米・インドなどに進出する際は語学よりも文化の差が大きな問題となります。仕事のやり方というか、物事の捕え方自体が違うので、いろいろな行き違いが出てきます。そのため私も日本企業の進出の事業の相談役を手掛けています。

日本企業が日本で活動をするには、いままでの人材の根本的考え方を変えて大変大きな変革をするのはかなり無理があると思います。人をここまで変えるにはおそらく過半数以上を外国人とする日本企業にしないと無理とも思えます。時間がかかって人がストレスを抱えてもいままでどうりに細部から攻めていかざるをえないかもしれません。しかし、海外に進出する企業は(特に東アジア以外に)、この問題をどうするかがポイントです。海外で現地人に経営も任せて、管理も業績もよくなり「よかった、よかった」という場合でも日本本社との間に壁ができてきます。今回書いたことを知らない人と知っている人では国際人としての感覚も格段に違ってくると思います。

 

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オリンパス 企業統治 法と規律の理解、理念はどこに?

11月 30, 2011に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

オリンパスの企業統治にかかわる事件は、日本の法治国家としてのありかた、株式公開・所謂上場企業としての在り方に深い問題を突きつけたことは間違いないと思います。問題の根本は企業統治(corporate governance)自体が理解さていないことであり、近代国家として知識人レベルから「法治とは何か」を理解し始めることが大事でしょう。

これについて特別にびっくりしたことがあります。日経新聞系のウェブサイトに公式に搭載された執筆で「日本企業は以前は銀行によるコーポレートガバナンスが進められたが・・・」という一説です。貸付機関が企業の持ち主であり実質上の経営者である株主に代わって何故会社を統治するのか、できるのか?この筆者は企業統治自体を理解をしていないのです。何の権利があってそうしたのか?会社の資産の配置や戦略の決定やについて貸付会社が仕切れますか?個人でいえば、クレジットカード会社が家計に加え、資産や収入に影響があるからと言って転職や娘の結婚に口をはさむようなものです。反論を書きたかったのですが、後半の論調がもっともであったのと、足を引っ張ることは好きではないので止めました。

次の記事は、「オリンパスは29日、今後の経営改革のあり方を検討する専門のチームを立ち上げたと発表した。ガバナンス(企業統治)と、事業の再建を検討するチームで、いずれも高山修一社長直轄の組織となる。執行役員や幹部社員などが参加するほか、外部の専門家の意見も踏まえて、経営改善案をまとめる。」との産経新聞の報道であります。あきれて「なんであんたがやるの?」「自分で自分を管理する案を部下に作らせそれを自分で承認して、私はこのようにして管理されますと表明されるなど、中学生の自己反省を弟に書かせたのと同じレベルの話ではないか?」と怒りよりも落胆となってしまいました。これを何もなかったかのように書いている記者も記者ですし、それを承認した編集者も編集者です。この記事に何の疑問ももたない規制庁や知識層、そして一般社会も何とかしてくれと言いたくなります。この三者も外部企業統治のメンバーなのです!

「会社は(少なくとも株式公開している上場会社は)、株主が所有し株主が経営を行う。投資家は必ずしも経営の専門家ではないので、取締役会に経営を委任する。(欧米ではよりはっきりしてますが)外部取締役が作成した経営計画を社長をはじめとする執行役員に実行させる。」これが会社法の理念ではないですか?何故社長がしゃしゃり出て、ましてや幹部とはいえ一般社員まで巻き込んで、自分自身と自分の掌握する執行役員を取り仕切る案をつくろうとしているのか。まともに考えると、法治主義が働いている国では株主の中でも大きなシェアの機関投資家や外部取締役が直轄して進めるはずです。オリンパス内部とパイプを持たない外部取締役を人材市場や経営に秀でた株主から選出して(これも社長にやらせてはダメ)経営改革案と企業統治案を出さねばなりません。

もし英米型でなくドイツのように社員を最低一名を取締役会に組み込まねばならないと考えるのであれば、法律を変えてそのように対処すべきです。日本の場合は、法律が株主の権利をうたいながら実際は社長や執行役員が会社を我が物顔に動かしているという状態で、社外企業統治のメンバーであるはずの立法府/規制庁企業統治を語る知識層一般社会の声が企業統治自体を取り仕切ったり影響を及ぼしたりしてませんし、それ以前に分かってないのです。

ああ・・・また頭がいたくなってきた。「大王製紙の社長が会社から借りた金を返済すると・・・」との記事です。会社の経理担当者が会社のお金を100万円取ったら記事では「横領」と呼ばれるはずです。でもなぜ社長が数億円もの株主の資産の一部である会社の現金を横取りしたのを「借りた」とするのか?このスポンジ頭のマスコミから報道を受けているこの国の国民はかわいそうです。でも気づかないほうも気づかないほうですが・・・。

大きな見方をしますと、日本人はモノづくりや資料作成は非常に丹念できれいです。心もこもってます。実際あの悲惨な経営のオリンパスでも技術と生産現場、販売や流通に関わる多くの実行チームは優れているはずです。反面、オリンパスだけではなく、多くの日本の企業の理念や方針もあやふやで、めちゃくちゃ。ましてや、議論の前提となる「言葉や概念の定義」がはっきりしていないので議論も泥沼。しかしこの泥沼にもたどり着かないのが普通でしょう。静かに長の言ったことを黙って聞いて、後で部下が互いに質問し合ってより良くより多く長の言ったことを暗記していた人が全て正しい意見をいう人となり、よくできる役員だとか幹部だとか評価し合うという人治状態で、社長の言いなり。ここに日本人が国際的に活躍できない理由が潜んでいるのでは?

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才能を無駄にする地

11月 18, 2011に nows22 が Uncategorized カテゴリーへ投稿

2011年11月5日の英国エコノミストの記事には、「才能を無駄にする地」として日本の労働市場と労働環境における女性達の現状が述べられていましたので翻訳してみました:

「働く母親は、夫から家事の手伝いをしてもらうのは難しい。日本の働く母親たちは、毎日夫の8倍の子供の世話と家事を約4時間行います。・・・それは日本の立法の優先であるかのようにナイトクラブで働く短いスカートのフィリピン人女性等は興行ビザを簡単に受け取れる一方で、日本の働く母親たちはビザを取って日本で働くお手伝いさんを雇うこともできない。これは日本の女性が職業上先に進めない理由を示しています。アメリカ合衆国では46%の女性が職業上の昇格/転職の成功があったとする一方、日本女性はたった10%となっています。・・・日本の会社は紙の無駄には注意を払いますが、女性の能力の無駄を気に留めていません。」

最後の一文は辛辣ですね。総人口の減少、少子高齢化という人口の変遷があり今後もこの傾向が続くことが分かっていながら、外国人労働者の受け入れ態勢も教育改革もままならない国、日本。現在手に届くところにあって、これから強化できる最強の資産のはずの女性の力を生かし切れていないのです。それは国家の制度や政策の問題だけではないと思います。会社の幹部だけではなく従業員も、そして家庭や教育現場に至るまで、女性の労働力を受け入れる体制や文化の変革無しには成し遂げれない問題と思います。とりわけ才能の高い女性を放っておくのは国家の宝の持ち腐れです。これが変わってきているのは「なでしこジャパン」をはじめとするスポーツ界だけではないですか。外資系の会社(韓国系は除く)の女性の扱いと才能の生かし方は日本企業も学ぶところが多くあるはずです。

誰ですか?未だ「職場の華」とか「はやく結婚してくれないかなー」などと言っているのは!

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