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東北関東大震災(3)

In Uncategorized on 3月 31, 2011 by nows22

3月24日付の英国誌エコノミストに東北関東大震災に関する「ここにも、指導力の危機」という題の社説がありました。その趣旨を箇条書きにしてみました:

(1)日本人一般の禁欲・我慢や再建への意欲対する賞賛と高い評価。
(2)上記とは対照的に、中央政府(加えて東電)の原発危機や津波被害への対処の遅さ。また阪神大震災における政府の対処は、あまりにも低い基準であり、比較して評価が高くなってもしょうがない。
(3)政府は、旧体制による規則と動きが取れない手続き、つまり「お役所仕事」のために十分な活動ができていない~何故、管氏は非常事態宣言を命じる(というより認めてもらうという有様)のに10日間も掛かったのか?
(4)日本は長期にわたる自民党政権のもと、「主体性を欠いた」首相と内閣により指導力を発揮できずにいたところ、管氏が政治改革を約束した。一方、被災地をめぐる市民の行動として、禁欲・我慢は確かに市民が一丸となるには効果がある。それでもなお、今国民は国家体制に対し怒りをもって意志を強く解き放つべきではないだろうか。

この社説は「日本の政府と国民の関係」を東北関東大震災を題材とすることにより、“すっと飲み込めるように”示した優れたものであると思います。日本でも国内メディアが海外の報道をとりあげたもは、比較的頻繁に報道されております。ここでは、(1)にあるように日本人の勤勉で協力体制が自然に生まれる様な行動様式に対する高い評価と、文化の優れた面を強調した社説となっております。しかし(2)と(3)では、一般市民の高い協調性と互助努力の精神とは裏腹に、政府機関のどうにも御しにくい規則・手続主義をはじめ、ここでは電力を示してますが基盤産業のお役所的体質、各マスメディアの独自性の欠如を指摘しております。また、ここにおいて特に強調されていたのが管首相の指導力の欠如です。さらに(4)では、「失われた20年」に相当する期間の自民党政治の行き詰まりと、これを阻止して官僚主導の政治をあらためることにより新しい国民による透明性のある政治を目指したはずの民主党内閣が依然として指導力を欠き、お役所仕事を基盤においた執務をしていることへの国民のいらだちを説明しております。そして、(1)にあるように日本国民が本来持つ我慢強さだけに集中するのではなく、「政府は国家の方向性を示すべき、そのための体制を変革すべき」と、怒りをぶつけてでも政府に対して国民の権利を主張すべきと、提言に結んでおります。

さて、(3)の「非常事態宣言」とは何でしょうか?Wikipediaによりますと、以下の定義となっております:
「国家等の運営の危機に対し、緊急事態のための特別法を発動することである。対象には、武力攻撃、内乱、暴動、テロ、大規模な災害などのほか、鳥インフルエンザやエイズなど疫病もある。措置には、警察・軍隊など国家公務員の動員、公共財の徴発、最高責任者による政令の発布や検問、礼状によらない、逮捕、家宅捜索などを許すことのほか、集会の自由やストライキなどの行為の制限である。」

日本では第2次世界大戦後のGHQによる非常事態宣言以降、政府自体により非常事態宣言が発せられたのは今回が初になるようであります。第2次世界大戦まで持続した軍国主義に対する嫌悪の情でありましょうか、日本国民が国家の大権を嫌う傾向にあることは理解しますが、これほどの惨劇であります。「情」を考慮している場合ではありません。この大惨事の中で、管首相が直ぐに非常事態宣言を出すという判断力・指導力の欠如、またはあったとしてもそれを許さない煩雑な手続きがあったのでしょう。本来、民主党はまず先に「戦争などの人災、地震などの天災に関わる最悪な筋書き」・「国家財政に関わる最悪なシナリオ」・「国家の領土に関わる最悪な展開」などを想定すべきです。世界がインターネットで結びつき、国際メディア・支援団体、国際テロリスト、地球環境の悪化等々の事象が急速に変化・活発化する中で、日本の過去の例の中で最悪というのではなく、世界で最悪の例、またはありえないほどであるがあってもおかしくないレベルの最悪の事態を想定してその対策を練っておくべきであったと思いますし、少なくともこれからそうすべきです。極端な話、「宇宙人が来襲してきたらどうするか」といったような笑われるようなことですら米国などには対策があると推測します。これらを想定したうえで、対応策を練って体制(システム)を作り上げるべきです。その際はマニュアル化・文書化する一方、対象となる事象を良く理解し判断できる指導者が体制・マニュアルを超えて支持できる体制を作っていかなければなりません。

しばらく言われ続けてきたことですが、年配の日本人は、「日本人は義務を果たさず、権利ばっかりを主張するようになった」と言って嘆くことがあります。前半はある程度当たっていると思いますが、後半は間違っていると思います。確かに世界ではまだまだ個人の権利を主張できない国は沢山あります。しかし、個人の権利を主張できる環境をもつ先進国の中では、日本は最も権利を主張してこなかった国民であります。民主主義の無い昔よりは権利を主張するようになったのは確かで、多くを主張するように見えたのかもしれませんが・・・

実際、憲法などによって保障されている権利や一般社会に認められている権利を主張せずに我慢または権利を放棄しているという例は多々あると思います。権利を主張しないから、日本政府はだらけたのかもしれません。権利を主張しきれてないから、権利の主張の仕方も忘れてしまったのかもしれません。日本の会社の多くも権利を主張しないで我慢を続け且つ一丸となって前に進む社員の力の上に胡坐をかいて十分経営力を磨いてこなかったことで、高度成長が止まった際には経営力で解決ができないので、コスト削減を理由に社員にその付けを押し付けてきたという側面もあるかと思います。会社が労働組合を提供しているためにストライキも起こさなければ、給与も適当に妥協されていくことにも黙って受け入れてきたので、他の先進国より効率が格段に良くなり、工業大国の道を歩んできたという一面も分かります。

加えて、大人たちが子供の時代に話を転じます。教科書どうりの答えを正解として、先生や親の言うことも正解として何の疑問も持たせずに、受け止めさせてきたことが、考えない教育を押し付けとなってきたこと。このことで、どの様なことが権利であり、どの様なことが権利として主張してよいのかの判断がつかないのかもしれません。あえて例をあげます。英和辞典などの発音記号のほとんどは嘘です。イントネーションの強調の部分です。英国や米国の英英辞典と比べてみてください。英和辞典ではほとんど母音の上に強調の「´」のマークがあります。しかし、英英辞典では単語の最初が母音である場合などを除きほとんどは子音の上または直前に強調の「´」があります。英語は“子音が強い”のです。実験をしてみてください。不思議なことに、母音を抜かして子音だけで話しても英語を母国語とする人たちには話が通じることがあります。母音が多少違っても子音をしっかり発音したほうが通じる可能性が高くなります。子音であるTまたはTiを「チ」とか「ティ」とかカタカナ発音を使うと通じない反面、母音はある程度適当でも通じることは多いという経験則もあります。イタリア語やスペイン語のように母音の強い言語とはそこが違います(ついでに言わせていただきますと、一生懸命英会話を学習している日本人であれば、英語が原語の映画を観ながら子音に集中して英語の聞き取りをしてみると突然耳に言葉が入ってきたりします)。さて、子供がこの例の様に二つの辞典で発音記号が違うことについて学校の先生に話しても、おそらく教科書のとおり覚えなさいというのではないでしょうか。ここでは、「考えること」を否定してます。

最後に、震災で日本人の良さである“協調性・禁欲・我慢・明日への活力”を世界に向けて示していただいた東北地方の皆様に敬意を表します。世界に誇れることですし、これからの日本の再建の礎となると確信をします。しかしここでは、あえて良き文化の裏面を捉え、「権利の主張を行ってこなかった」こと、俗な言い方をすれば、「政府の尻を引っぱたいてこなかった」という残念な面を指摘しました。どこか他の国から「義務を果たすのは大変だけど、先人が革命で血を流したり怒りのデモ行進で勝ち取った権利(または民主主義)を主張しないなんてもったいない話だな・・・、というか先祖への冒涜だよ。」という声が聞こえてくるような気がします。

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