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和製英語、日本人の誇り、日本人の言語力の低下

In Uncategorized on 1月 30, 2012 by nows22

和製英語は毎年どんどん従来の日本語に言い換え書き換えられています。しかし、これが多くなって誰が得をするのでしょうか。おそらく消費者は英語やその他一部欧州語のカタカナ表記が好きだとみて、日本語そのものよりこれらの和製外国語を使うと売り上げがあがると見込むファッション関係や集合住宅などの業界や小売業界の販売部門などでしょう。確かに英語などのいくつかの大国によって話される言葉はそれ以外の言葉を自国語とする国にもある程度浸透するのは事実です。しかし、日本の浸透の仕方は尋常ではない。そのくせアジアでは世界的英語テストのTOEICの結果が鎖国している北朝鮮と並んで最下位ときています。「努力はしたくないが、欧米的雰囲気に包まれていたい」とは解釈したくありませんが・・・。今回は英語を題材にしますが、和製英語の弊害は以下の通りです:

① 英語を学び使う上で英語が下手になる素地を作る。カタカナで発音する癖も問題であるが、日本語の中に入れているため単語と単語が結びつかない。意味も違ったりその範囲がずれている単語も非常に多い。冠詞や複数形などのほとんどない言語に無理やり入れ込んでいるからこうなる側面もある。カタカタでも発音があまりにもめちゃくちゃなものも多く、どちらかというと他の単語に聞こえてしまうものもある。おまけにファッションや食事ではフランス語、スキー関係ではドイツ語、集合住宅名では欧州の複数の言葉が好まれており、その外来語も和製英語としてそのまま英語で発信する人も少なくない。パソコンやスマホなどの省略も英語として発信したり、かつNot Goodを同じ二音節のNGという和製英語で省略したつもりでいる場合もある。ITの世界などが特にひどい。この最先端の分野では、世界との意思疎通が不可能に近い。カタカナから再度英語(もどき)にされたものは、英語を母国語とする聞き手読み手も苦しめる。

② 自国語をしっかり話したり書いたりしない民族として外国人から情けなく映る。つまり自国の文化を大事にしない民族とみられる。日本人が歴史を通して生み出した美しい表現や面白い言い回しなどを自ら葬っている。日本語を勉強している米国人に「この宣伝のポスターには何故『サン(数字の3)』と書かずに『スリー』と書かれているのですか?」と聞かれ、情けなくてどのように答えたかは思い出せません。

③ 長期的に見て国語の力が落ちる。どんどん多くなる和製英語はカタカナのため、知らない言葉でも漢字で書かれてあれば推測できるものもできない。一方で、英語は接辞語や接尾語・ラテン語の原型をはじめ綴りからいろいろと推測できるが、カタカナでは不可能。またひらがなやカタカナを飛ばして漢字を中心に読んで速読をする技も困難となってくる。漢字と英単語のそれぞれの持つニュアンスもカタカナで代用する段階で多くは抜け落ちてしまう。つまり日本人の学ぶ力と学ぶ効率の二つを阻害しており、それが現在進行中である。本来の日本語の死語が増えて、30年後、50年後、100年後を想像するとそら恐ろしい状況になっているのでは。私は実はこのことを一番危惧しています。

④ 日本語を学ぼうとする奇特な外国人を悩ませ、日本語を学ぶ弊害となる。自国語が英語の場合どこまで英語のカタカナにしてどこまで伝統的日本語にしたらよいかが不明。英語の挨拶もできない日本人が「ユキビタス」など難しい言葉を知っていたりするので理解不能。コンピューターーやパソコンに対するドットコムなど、computerのcomからとった後者は、前者の「コン」ではなく「コム」であり論理的におかしいが、これには目をつぶって丸暗記するしかない。また真剣に日本語を勉強している外国人は、正しい日本語を学んで日本人より上手い日本語を覚えていく場合すらあり、実際「はっと」することもある。

⑤ 年配者など和製英語が不得意な人々との間の情報のやりとりの間に隔たりが起こる。会社の幹部や商店主など多くが年配者向けものですら和製英語が多用されているものもあり、市場が必要とする要件との食い違いもあり。

⑥ カタカナ表記が曖昧またはその言葉の定義が議論をする人たちの中で統一されないままで議論が進むこともよくある。また一般の会話の中では、カタカナ英語で本心を曖昧に隠しながら浅い付き合いをしたい若者達の格好の道具となっているのかもしれない。

⑦ 当然であるが、和製英語をもって外国人と話しても分かり合えなかったり、勘違いをされたりしたり、意味不明であったりする。片言でも「学んだ英会話」で話すと気持ちも通じる。さらに、私の義母はハワイに行っても他の観光客や現地の誰にでも全くの日本語で話すが(電話でも!)、身振り手振りや表情などでおおまかな意志が通じ、気持ちも通じていることが多く実際不思議であるが、彼らは義母を人間として尊敬してくれている様子である。

⑧ 英語学習者は、和製英語と英語の両方の発音や意味の両方を学ばねばならず、意味のない学習時間を割かねばならない。例えばUkraineという国を日本人は「ウクライナ」と言うが同じカタカナでも「ユークレイン」と言った方が近い。あらゆる分野で二つとも覚える労力が必要になる。その時間を数学の学習や仕事の研究に使った方が遥かに実りがある。

⑨ もともと学校教育で英語を身に着ける前に“英語翻訳学”を学んでしまったため、翻訳の癖が抜けず受信した英語を日本語に訳してから日本語で考えて、カタカナ英語も加えながら英語に訳してから発信するときているので、使える英語を身に着けるのは困難。

世界中どこに旅行に行っても英語を知っていると心強いですよね。海外旅行では多かれ少なかれ英語で事が足りることも多いです。しかしこれらはホテルの従業員や旅行業者などが必要に迫られて覚えている場合が多いのです。英語に対してそれ以外の欧州言語が多かれ少なかれその構造が近い欧州であっても、エリート層や旅行関連・国際取引業者など以外の一般の人達はほとんど自国語一か国語しか使えません。まして日本人の多くが今の北朝鮮レベルから、全く歴史的関連性が無く言語構造が全く違った英語を完全身に着けるなど不可能です。もちろん日本人で英語が必要な人または必要となる可能性のある人々はしっかり学ぶべきです(ある程度使えるようなってから、必要であれば翻訳学という形で学べば良いのです!)。しかしここで私が言いたいのは、日本人は自国の誇りをもって、文化に基づく商品の輸出ができるとか外国人観光客を引き付ける程のレベルの高い日本文化を維持すべきです。言語はそのもっとも大事な部分です。日本ではしっかりした研究者の書いたもの翻訳の素晴らしい書籍がごっそりとあります。そこで日本人は和製英語が最小化された文書を基に日本語の速読と熟読能力の両方の力を発揮して知識と技能を磨くべきです。モノづくりやサービスなどの産業分野に関しても、日本人の一定の分野における優位性や過去からつながる技術や考え方を自ら捨ててしまうのではという危惧すら感じてしまいます。和製英語の比率がだんだんと高くなっていますので、いつか例えば数十年後に実質上または揶揄されて「英語もろくにしゃべれない米国の属国」として下げずまれるのが日本の姿とならないように日本人は自分の民族性に誇りを持つべきです。

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