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前時代的な日本の体制・習慣・文化

In Uncategorized on 2月 5, 2013 by nows22

スポーツ界にはびこる身体的暴力または精神面への間接的暴力。学校のクラブでのしごきと称する暴力。これらが日本中にあることは、今始まったことではなく、昔からあることです。しかし、被害者等の考え方の変化、インターネットなどの国境や所属団体を超えた情報の流通などによりやっと表にでてきたということでしょう。

「力」によって人は人を支配または管理します。前時代的な「力」には、既得利権に基づくもの、年齢が上、組織での地位が高い、または所属する年数が多い、男性優位、肩書き、場合によっては先祖の犯罪歴や門地、反対に2世と呼ばれる人々の優位性などがあります。支配または管理される側は、歴史を通じて一方的な「力」で押さえつけられてきました。そして日本ではこれらが当たり前なこととして21世紀にまで生き続けてきました。その「力」は権力に加え、組織から与えられた強い影響力によってその者の側近に有能な人をたずさえる、あるいは狡猾なやり方をもって情報を管理することで、暴力や恫喝あるいは陰湿な支配を正当化してきました。そして、組織に長く居て培ってきた権力は、安定しているがゆえ腐りやすいものなのだと思います。過ぎた「安定」は、「堕落」につながるものです。

被害者は大変です。場合によっては被害者より明らかに劣った人間性や知力の者に支配されなければなりません。「愛の鞭」とか「しつけ」あるいは何も問題ないかのように「指導」といった言葉で正当化されればたまったものではないからです。子供の世界では「根性をいれてやる」とか「たたき直しやる」といって正当化するのでしょう。まるで加害者の方が立派な人間で隔離された環境の中では神のような支配者であるかのように。加えて、ここでも組織の統治の問題が浮上します。組織でこれらが見逃されている場合は、あらかじめ正当化されているので加害者にとって好都合です。日本の少なからずの組織では、「恐怖で支配」することによって、その人の管理能力は評価されます。日本のように、失敗を伴いかねない新しい試みより失敗を生まないことを評価される組織文化では「恐怖で支配」した方が学校でも企業でも何らかスポーツやレストランの厨房などの団体でもはるかに効率的だからです。

それでは、何故日本の体制・社会・文化にこのように閉鎖的な暴力と支配がいまだに存在するのかについて考えてみました:

1.我が国では組織の上に立つ者ほど前時代的な古い考え方を持ち、それは次世代まで引き継がれていること。

2.管理能力は「恐怖の支配」で上手くいき、新しい管理というものを学ばなかった、あるいは学ぶ環境になかった(例えば、先輩から後輩への「恐怖の支配」の連鎖)。

3.個人または団体内部の管理者らに人の管理が任せられていて、第3者的な統制機関が存在しないことが多い。

4.組織に関しては、「統治」(governance)という概念が理解されていません。組織はシステムで管理するというのが、世界のスタンダードです。法律の整備・内部規定・指導要綱・情報体制・外部管理機能を作り上げなければなりません。訓示を述べる、訓戒をするなどは一時しのぎです。まして内部の管理者が自分達の監督不行管理を無視して下の者達に対して行う訓戒など責任逃れです。外部に管理されるのは、その組織の内部管理者らです。また、表向きの規制や禁止なども上手い統治ではありません。統治とは外部の監督者が中心となって内部のトップを抑えるものです。柔道連盟や相撲部屋の様に内部で管理陣を占めること自体が統治が存在していないのとイコールです。

5.中には、暴力や「恐怖による支配」を楽しむ人間も少なからずいる(こういう人間に限って「指導」とか「しつけ」を盾に正当化するものですが)。

ここで、海外に目を向けてみましょう。米国や英国では、学校の生徒の指導で生徒のからだにちょっと触れただけでも訴訟問題にも進展します。そのかわりしっかりとした指導体制と技術を磨いてきました。北欧でも同じです。これに対して、米国も英国も20世紀初頭までは、夫が妻や子供を鞭打ちしていたことが当たり前とした社会でした。それが社会や人間の在り方などをどんどん変えて女性も黒人も国家のトップに立つまでの国になったことはご存じでしょう。スペインやメキシコなどでは女性軽視とも思える暴力があります。それでも我が国は先進国の中では明らかに人権や人の管理の在り方ではるかに後れをとっていて19世紀から20世紀初頭並みであると思います。

私の妻は今私も敬愛する英国の文豪チャールズ・ディケンズの長編のデビッド・コパフィールドを読んでいるので、感想を聴きました。義父や教師が鞭を使って少年に「しつけ」と称し体罰を与えている話がその一部です(私は未だ読んでいないのですが)。初めはしつけのつもりが、しだいに征服欲を満たすための喜びに代わっていくとのことです。当時の英国では普通のことでした。人間のもともと持っている征服欲や支配欲というのはどの様な暴力や権力支配でも多かれ少なかれ存在すると思います。上記の5は、「中には・・・」と書きましたが、実はほとんどの場合、多かれ少なかれ征服欲や支配欲を伴っているのかもしれません。正当化する理由を自分の中と外部に示しながら。そうであるからこそ、上記の4による統治によって人を抑えねばならないのだと思います。人間はそんなにできた存在ではありません。

次世代を担う若者は年配者の言うことばかり聞いて悪しき伝統を引きついで良いのでしょうか。年配者から学ぶことは極めて多いのは確かです。しかしながら、彼らは先に死んでいくのです。そして時代を変えていくのは次世代の人に他ならないのです。彼らと同じ年代になった時には、彼らより遥かに賢くならなければなりません。

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