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歌舞伎座と日本文化

In Uncategorized on 4月 5, 2013 by nows22

新歌舞伎座「歌舞伎というのは江戸時代から今日までの約400年間、お上の補助をまったく受けずに民間でやってきた」ということは確かに素晴らしいことです。
しかしながら、観客という市場がじり貧の斜陽芸術であれば、公的資金で支えるのが良いのか、観客がほとんどいなくなった時代には歌舞伎座の公演も盛り上がらないのでは、という疑問があります。
そもそもなぜ明治維新以降の文化関連の省庁は、西洋古典音楽と西洋美術を学校の科目として定め、日本の文化を軽視したのでしょうか。鑑賞したり演じたりする日本人の感性を封じ込めてまで。自国の文化を海外に広めれるのが国際人のひとつの力と思いますが、これでは始めからだめではないですか。こうなってからでは遅いのです。おそらく、そのうちカタカナ英語漬けで日本文学も凋落してしまいますよ。そうなってからでも遅いのです。新歌舞伎座と観客の減少

明治維新から約半世紀後、音楽評論家の兼常清佐がこんなことを書いているそうです:

「ニッポンの音樂がどうなるかは私は知りませんが、どうしようかといふことならば、私は躊躇なく答へます。——私は私の生活からこんな退屈な音樂など追ひ出してしまひます。私共の音樂はやはりシューベルトの音樂です。ショパンの音樂です。リストやドビュッシーの音樂です。その方がまだ私共の心に近い音樂です。私共は小學の頃から今日まで、全然西洋の學問を基礎にして教育されて來ました。私共の生活の基礎を作ってゐるものは悉く西洋の學問と文明です。私共の頭の中はつまり西洋人と同じやうな水準のものです。」(『日本音樂と西洋音樂』、1941年、現代叢書)

これでは西洋を敬い、自国を卑下しているといっても過言ではないと思います。つまり、好き好んで「根無し草」になると言うことですね。それにドイツ中心の古典音楽を選んだのは当時の一部の文化人の好みだけではないですか。感性も頭脳も西洋人となって何故嬉しいのでしょうか。それに現代人からすると、西洋人とはどこのどの様な人たちを指しているのかもイメージ先行で、前時代的です。自国の文化を教えて、やりたい人、鑑賞したい人には西洋クラシカルでもジャズでもロックでもフランメンコでも好きにしてもらえばよいのではないでしょうか。現代西洋音楽はハーモニーが一番発達しているのはわかります。しかし、リズムに関しては複合リズム(ポリリズム)が一番発展しているのはアフリカですし、即興が最も発達したのはジャズ、日本を含む一部のアジアには「間」とか「幽玄」といった独特の価値がありますよ。

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