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組織の人間関係と甘えの構造

In Uncategorized on 8月 10, 2013 by nows22

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組織におりますと、いろいろな人がおりまして、そのコミニュケーションの取り方にはその組織独自、またはその国その地方に独特な人間関係というものがあります。今回は、その中でも日本の特に古い価値観のある地方や組織にありがちな一対一の人間関係にについて論じていきます。

上司や先輩が甘やかす、またはやさしくすると、始めのうちはいい人だと信頼されて人間関係は上手くいくのですが、一部の人間はそのうちに相手を「舐めて」また場合によっては「つけあがって」きます。指示を聞かなくなったり減らず口をたたくか、おとなしくしていても陰でさぼったりすることもあります。こういう時に上司や先輩には、おそらく二つの選択があるでしょう。ひとつは、そのままの態度で場合によっては、諭して部下や後輩の行動や態度を変えようとする場合でしょう。おそらく相手は変わらないでしょう。もうひとつは、恐怖を使い厳しく接することもありえるでしょう。相手に圧力をかけるのです。そうすると、その人間は従うようになるでしょうが、一方的な指示や命令にのみ従うだけでしょう。双方のコミュニケーションが崩壊して「創意工夫」をもった仕事をしなくなるでしょう。いずれにしても前者にも相手側の「創意工夫」はないのであり、この種の人間は困った存在です。

さて、他の国ではどうでしょうか。私の経験では、このように「甘えの構造」のある国はほとんど無いと思います。英国の大学・大学院の職員や学生、現在の起業家仲間はもちろん、レストランで多国籍で働いていた給仕仲間にしても一人の人間を選んでなめたりつけあがったりするのは、考えられないというか、そういうのは、子供だけの行動であると思います。

わが国ではこのような「甘えの構造」に基づく「なめる」「つけあがる」というものがありますが、それは人間の主体性が著しく欠けているからだと思います。他人によりかかり、全体的な考えや行動を良しとして他人任せで子供のようになっているからこそ、平和であり犯罪も極めて少なく、組織全体におとなしく従う人間が多いので生産力が上がっていくのは分かります。しかし、これから21世紀を生きる先進国の一か国としてこのような精神構造でいてよいものでしょうか。

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年次換算で3,5%のGDPの伸び

In Uncategorized on 5月 16, 2013 by nows22

Japanese export growth 05162013日本政府の資料によりますと(ファイナンシャルタイムズ5月16日の記事より)、国内総生産(GDP)の伸びが四半期(1ー3月)で0.9%、年次で換算すると3.5%になるとのことです。一言でいえばアベノミクスの効果でしょう。これで株価とGDPの双方で強い経済成長が見て取れることになります。

しかしながら、歴史的にみてもしっかりした成長に転じるのには戦争や大きな技術改革が起きない限り、政府の金融政策や公共投資、規制緩和や税金政策をしてもすぐには経済成長には結びつかないところが、安倍政権にいたっては発足半年くらいでこういった結果を出していることに注目をしてます。やはり、円安誘導やこれにからんだ麻生副総理が主導する外交力もありますが、一番大きなものは市場での期待と心理が前向きになってきたことが一番大きな要因であると思います。

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育休3年、女性手帳

In Uncategorized on 5月 14, 2013 by nows22

ダイアモンドオンラインの記事です:「これらは、ポンコツおじさんが考えたポンコツ政策に見えます。働く女性の実感からはちょっと遠いですね」と一刀両断するのは、東京都在住で高齢者の福祉サービスに携わるAさん(35歳)である。ニュースが出るや否や、女性たちのこうした批判がネット上に溢れる事態となった。

この様な体制が現実に会っているのでしょうか。この日進月歩の時代に3年間仕事から離れた人をどう迎え入れるのか、結婚や出産を控えた女性を企業は雇わない傾向を助長するのではないか、など現場を知らないそれこそ「ポンコツおじさん」が作成したと言われてもしょうがないありあわせの方策と思います。働きながら子育てできるとか、自宅で会社からの資料をいつでも見て働いたりして現場の感を維持するなど、もっと創造的なものにできなかったのでしょうか。

もし「男性手帳」など持たされてたら「国が何を管理しようとしている?!」と大騒ぎでしょう。「母子手帳」なら特定の状況の人達を指しているからわかりますが、「女性手帳」=「女性だから一律に国家が守る」など女性に対する偏見もありながら作成したと言わざるを得ません。

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アベノミクスと給与の連携

In Uncategorized on 5月 10, 2013 by nows22

アベノミクスによって日経平均株価は年始の約9,000円位から最近の14,000円を超えるあたりで、約5か月間に50から60%の株価の続伸をしてきました。この数字は経済に強くない方には把握しずらいかもしれませんが、ものすごい数字です。これに伴い給与も上がっていくと内需が刺激されてもちろん良い経済のサイクルが出てくるのですが、どうなるでしょうか。

政府の大手企業や経済系の団体への音頭である程度の勤め人の給与の引き上げは確保されるでしょう。しかし、現在の日本の構造は変わってしまっているのでどうでしょうか。企業は儲かっても一般の労働者の給与所得は比例しては上がらないはずです。給与が経済成長に押され上がっていくのは、高度成長の時代を生きた人にとっては当然と思われるかもしれませんが、そうはならないと思います。それは:

1.非正規職員の率、数が大きく増えてしまっている。この層には昇給が反映しづらい。

2.会社にしがみつく中高年が多いので給与をあげるとさらに彼らの会社への依存度が増して早期退職制度を求めても止めていかない。そうであれば一律に給与をあげるわけにはいかない。

3.日本の転職市場がもともと小さいので、良い人材が良い給与を求めて企業間を移動する自由が少ない。給与をあげたからといって良い人材はあまり会社から出ていかない。そうであれば、あげなくともよいと考える。

とくに1.が大きいですが、全体的には厳しいですね。

 

 

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人の上に立つ人 ー リーダーシップ

In Uncategorized on 5月 3, 2013 by nows22

私が米国人のグループとある資産評価のプロジェクトをしていた時、上司達の部下に対する指導を見る機会がありました。部下は立っている上司のまえで椅子に座って伸ばした足を組んでボールペンを指で回しながらふんふんと聞いていました。まー、ここまでは文化の違いで良いでしょう。しかし、上司らは部下の育成に集中し、働く環境のためなら部下に必要なスターバックスのコーヒーまで買いに行く。そうまでしななければ転職市場の大きい米国では優秀な人材が確保できないのでしょう。部下の成長がそのまま上司の評価に繋がるというわけです。

一方、転職市場の小さい日本では上司が威張っている。リーダーシップが弱くとも会社から与えられた権力を振りかざすだけでなんとか部下は動く。部下は機会の小さい転職市場を恐れて上司に従うだけだ。だから実績はそこそこ。自発的な努力に繋がりにくいのです。

そもそも「人の上に立つ人」になることが良いことだと言われてきたことがおかしいのではないでしょうか。真のリーダーシップとは、人を伸ばすこと、人に教育を与え、背中を押してあげることではないでしょうか。

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「他国の人が憲法を改正するとどう感じると思うのか」の議論

In Uncategorized on 5月 2, 2013 by nows22

私は一度英国に住んでから日本に帰国したときに友人からある質問をされました。その質問は「北野武(ビートたけし)はヨーロッパでベネチアとかの映画祭で評価があるけど、イギリスでもみんな知っているの。」という内容でした。私はその質問に質問で返して「うーん。それでは樺山(仮名)は欧州の監督で映画祭で受賞や入賞している人たちがいっぱいいるのは知っていると思うけど、ハリウッドは別にして、欧州の映画監督で誰か一人でも知っているの?」。彼は「一人も知らない」と言う。私の回答は、「そう。英国も欧州諸国の人達も樺山と同じように日本の映画監督なんて一人も知らないのは当然だよね」。彼曰く「なるほど」。

日本が憲法96条を改正するのは、憲法9条を改正したいために96条の緩和で超えるバーを低くしておくと多くの人達は推測してます。しかし、憲法96条も9条も「他国の人がどう思うか。」で議論をはじめる人がおります。これも「あなたは他国の憲法の条文を少しでも知っているの?」と質問しても「ひとつも」と答える日本人が多いはずであり、他国の人達も同じです。今回は中国と韓国の当局が騒ぎだてしたことで両国の国民も「そうなんだ。そんな条文があったんだ。」と思っているところでしょう。

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歌舞伎座と日本文化

In Uncategorized on 4月 5, 2013 by nows22

新歌舞伎座「歌舞伎というのは江戸時代から今日までの約400年間、お上の補助をまったく受けずに民間でやってきた」ということは確かに素晴らしいことです。
しかしながら、観客という市場がじり貧の斜陽芸術であれば、公的資金で支えるのが良いのか、観客がほとんどいなくなった時代には歌舞伎座の公演も盛り上がらないのでは、という疑問があります。
そもそもなぜ明治維新以降の文化関連の省庁は、西洋古典音楽と西洋美術を学校の科目として定め、日本の文化を軽視したのでしょうか。鑑賞したり演じたりする日本人の感性を封じ込めてまで。自国の文化を海外に広めれるのが国際人のひとつの力と思いますが、これでは始めからだめではないですか。こうなってからでは遅いのです。おそらく、そのうちカタカナ英語漬けで日本文学も凋落してしまいますよ。そうなってからでも遅いのです。新歌舞伎座と観客の減少

明治維新から約半世紀後、音楽評論家の兼常清佐がこんなことを書いているそうです:

「ニッポンの音樂がどうなるかは私は知りませんが、どうしようかといふことならば、私は躊躇なく答へます。——私は私の生活からこんな退屈な音樂など追ひ出してしまひます。私共の音樂はやはりシューベルトの音樂です。ショパンの音樂です。リストやドビュッシーの音樂です。その方がまだ私共の心に近い音樂です。私共は小學の頃から今日まで、全然西洋の學問を基礎にして教育されて來ました。私共の生活の基礎を作ってゐるものは悉く西洋の學問と文明です。私共の頭の中はつまり西洋人と同じやうな水準のものです。」(『日本音樂と西洋音樂』、1941年、現代叢書)

これでは西洋を敬い、自国を卑下しているといっても過言ではないと思います。つまり、好き好んで「根無し草」になると言うことですね。それにドイツ中心の古典音楽を選んだのは当時の一部の文化人の好みだけではないですか。感性も頭脳も西洋人となって何故嬉しいのでしょうか。それに現代人からすると、西洋人とはどこのどの様な人たちを指しているのかもイメージ先行で、前時代的です。自国の文化を教えて、やりたい人、鑑賞したい人には西洋クラシカルでもジャズでもロックでもフランメンコでも好きにしてもらえばよいのではないでしょうか。現代西洋音楽はハーモニーが一番発達しているのはわかります。しかし、リズムに関しては複合リズム(ポリリズム)が一番発展しているのはアフリカですし、即興が最も発達したのはジャズ、日本を含む一部のアジアには「間」とか「幽玄」といった独特の価値がありますよ。