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前時代的な日本の体制・習慣・文化

In Uncategorized on 2月 5, 2013 by nows22

スポーツ界にはびこる身体的暴力または精神面への間接的暴力。学校のクラブでのしごきと称する暴力。これらが日本中にあることは、今始まったことではなく、昔からあることです。しかし、被害者等の考え方の変化、インターネットなどの国境や所属団体を超えた情報の流通などによりやっと表にでてきたということでしょう。

「力」によって人は人を支配または管理します。前時代的な「力」には、既得利権に基づくもの、年齢が上、組織での地位が高い、または所属する年数が多い、男性優位、肩書き、場合によっては先祖の犯罪歴や門地、反対に2世と呼ばれる人々の優位性などがあります。支配または管理される側は、歴史を通じて一方的な「力」で押さえつけられてきました。そして日本ではこれらが当たり前なこととして21世紀にまで生き続けてきました。その「力」は権力に加え、組織から与えられた強い影響力によってその者の側近に有能な人をたずさえる、あるいは狡猾なやり方をもって情報を管理することで、暴力や恫喝あるいは陰湿な支配を正当化してきました。そして、組織に長く居て培ってきた権力は、安定しているがゆえ腐りやすいものなのだと思います。過ぎた「安定」は、「堕落」につながるものです。

被害者は大変です。場合によっては被害者より明らかに劣った人間性や知力の者に支配されなければなりません。「愛の鞭」とか「しつけ」あるいは何も問題ないかのように「指導」といった言葉で正当化されればたまったものではないからです。子供の世界では「根性をいれてやる」とか「たたき直しやる」といって正当化するのでしょう。まるで加害者の方が立派な人間で隔離された環境の中では神のような支配者であるかのように。加えて、ここでも組織の統治の問題が浮上します。組織でこれらが見逃されている場合は、あらかじめ正当化されているので加害者にとって好都合です。日本の少なからずの組織では、「恐怖で支配」することによって、その人の管理能力は評価されます。日本のように、失敗を伴いかねない新しい試みより失敗を生まないことを評価される組織文化では「恐怖で支配」した方が学校でも企業でも何らかスポーツやレストランの厨房などの団体でもはるかに効率的だからです。

それでは、何故日本の体制・社会・文化にこのように閉鎖的な暴力と支配がいまだに存在するのかについて考えてみました:

1.我が国では組織の上に立つ者ほど前時代的な古い考え方を持ち、それは次世代まで引き継がれていること。

2.管理能力は「恐怖の支配」で上手くいき、新しい管理というものを学ばなかった、あるいは学ぶ環境になかった(例えば、先輩から後輩への「恐怖の支配」の連鎖)。

3.個人または団体内部の管理者らに人の管理が任せられていて、第3者的な統制機関が存在しないことが多い。

4.組織に関しては、「統治」(governance)という概念が理解されていません。組織はシステムで管理するというのが、世界のスタンダードです。法律の整備・内部規定・指導要綱・情報体制・外部管理機能を作り上げなければなりません。訓示を述べる、訓戒をするなどは一時しのぎです。まして内部の管理者が自分達の監督不行管理を無視して下の者達に対して行う訓戒など責任逃れです。外部に管理されるのは、その組織の内部管理者らです。また、表向きの規制や禁止なども上手い統治ではありません。統治とは外部の監督者が中心となって内部のトップを抑えるものです。柔道連盟や相撲部屋の様に内部で管理陣を占めること自体が統治が存在していないのとイコールです。

5.中には、暴力や「恐怖による支配」を楽しむ人間も少なからずいる(こういう人間に限って「指導」とか「しつけ」を盾に正当化するものですが)。

ここで、海外に目を向けてみましょう。米国や英国では、学校の生徒の指導で生徒のからだにちょっと触れただけでも訴訟問題にも進展します。そのかわりしっかりとした指導体制と技術を磨いてきました。北欧でも同じです。これに対して、米国も英国も20世紀初頭までは、夫が妻や子供を鞭打ちしていたことが当たり前とした社会でした。それが社会や人間の在り方などをどんどん変えて女性も黒人も国家のトップに立つまでの国になったことはご存じでしょう。スペインやメキシコなどでは女性軽視とも思える暴力があります。それでも我が国は先進国の中では明らかに人権や人の管理の在り方ではるかに後れをとっていて19世紀から20世紀初頭並みであると思います。

私の妻は今私も敬愛する英国の文豪チャールズ・ディケンズの長編のデビッド・コパフィールドを読んでいるので、感想を聴きました。義父や教師が鞭を使って少年に「しつけ」と称し体罰を与えている話がその一部です(私は未だ読んでいないのですが)。初めはしつけのつもりが、しだいに征服欲を満たすための喜びに代わっていくとのことです。当時の英国では普通のことでした。人間のもともと持っている征服欲や支配欲というのはどの様な暴力や権力支配でも多かれ少なかれ存在すると思います。上記の5は、「中には・・・」と書きましたが、実はほとんどの場合、多かれ少なかれ征服欲や支配欲を伴っているのかもしれません。正当化する理由を自分の中と外部に示しながら。そうであるからこそ、上記の4による統治によって人を抑えねばならないのだと思います。人間はそんなにできた存在ではありません。

次世代を担う若者は年配者の言うことばかり聞いて悪しき伝統を引きついで良いのでしょうか。年配者から学ぶことは極めて多いのは確かです。しかしながら、彼らは先に死んでいくのです。そして時代を変えていくのは次世代の人に他ならないのです。彼らと同じ年代になった時には、彼らより遥かに賢くならなければなりません。

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世界どこに居ても、いつでも勤勉で、そして皆を愛する

In Uncategorized on 1月 30, 2013 by nows22

今月は、アルジェリアで武装集団による人質殺害と人質を盾に自分達の言い分を通そうとしたところ、一気に政府軍により転覆されたという事件がありました。殺害あるいは重傷を負った各国の犠牲者に冥福をお祈りいたします。外国で真面目に働いた人々、そしてその国に利益をももたらすプロジェクトの破たんに対し憤りを感じます。善行をしても悪行によって蹴散らされるなどあってはならないことでありますが、それは人間の歴史には多く刻まれております。

しかし、今回は勤勉に地道に努力をすることで大きな路を切り開けた例を紹介します。「いくら厳しい環境にいても、悪運がついて回ろうとも、しっかり学び働き周囲に愛を振りまいていれば機会は訪れる。」これは私が今作った言葉ですが、今朝、友人のeメールを受け取って感激して作ったものです。

南米出身の友人は私のスコットランドの大学院時代からの友人です。彼は英国に留学する以前、自宅で強盗・略奪にあったそうです。日本では考えられない超苦学生としてこつこつと勉強して、その後スコットランドで研究職につきしっかり仕事にも集中してきました。将来を信じて敬虔なカソリックとして善行をしながら奥さんや友達を大事にする一方、仕事ではなかなか芽の出ない中で今は40代半ば位になったと思います。

メールは歓喜にあふれていました。彼は企業の管理者として仕事はしていましたがあくまで一般人という地位にありました。ある日突然政府のエネルギー鉱業担当大臣から電話が来た後、なんと首相から直接電話があり、その内容は国家的プロジェクトである天然ガス開発プロジェクトのリーダーとしてぜひ指揮をとってほしいという要請でした。彼はどの様にして彼の履歴が国家中枢まで流れたのかはわからないとしていました。これはほぼインターネット上の情報の共有の結果と思いますが、それにしても彼のたゆみない努力と小さな成果がいっぱい詰まった履歴書であっても、それが政府要人の目にとまるとは思いもよらなかったのでしょう。

芽がでないといってあきらめていたのでは何事も進みません。何年でも何十年でもこつこつと努力を重ね文句を言わず自分の周りに人達に愛を振りまき着実に進むことにより成功は掴むことができると思いますし、向こうからやってくることすらあり得ることが納得できます。どんなに厳しい状況にあっても、明るさは失いませんでした。我が家のパーティに訪れた際にラテンのリズムが始まると自然と奥さんと一緒に踊ってしまう心の豊かさはラテン系の血によるものだったのかなと、今過去を振り返っているとことです。Peruvian Gas Project 1

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「これからの日本発展のキーワードは、経済にも幸福度にも専門職と女子力!

In Uncategorized on 11月 24, 2012 by nows22

1960年代から1980年代までの約30年続いた高度成長時代。一般の男性労働者の立場からいうと、「職業上の希望を犠牲にして、生活の安定を採った時代」、そして1990年代から現在までは、「職業上の希望がないままで、生活の安定もない時代」と総括できるような気がします。勿論、前者にも後者にも例外はあります。しかし、ほとんどの職場で、一部の技術職を除けば、多くの人たちは総合職として電話取りや掃除から人の管理からお客様の苦情係までいろいろな仕事をさせられて、たまたま異動させられた分野に才能があるとかこの職種にやりがいがあるとか好きだと思っても、会社の命令で別の役割や職種に変更をされられ、転勤もあるので、種々雑多な経験をしてきました。会社の論理は、「いろいろな経験と職種を学んで、一斉に出世街道にまっしぐらで頑張ってほしい、残業もどんどんしてくれ、サムライとして一家の大黒柱だから福利厚生から冠婚葬祭まで会社がつくしてやる、そのかわり会社の命令どおりにチームワークを尽くして働いてくれ。」といったところでしょうか。繰り返しますが、職業上の希望は無視され、生活の安定は(就業契約上ではなく)暗黙の了解の「終身雇用」と「年功序列」をたてに、経済全体の伸びから大きく恩恵を受けながら保証されてきました。この時代の一般的な男性労働者は、このように会社に大きな忠誠を尽くすことで、自分たちの信頼・結婚と生活の安定・住宅ローンが通る信用・家庭の主としての地位を確立しました。

国内産業の空洞化、貸し渋りや貸し剥がし、少子高齢化に伴う日本企業の得意な車や電化製品の国内需要のひっ迫、円高による輸出産業の困難、世界経済の低迷、そして日本国政府の迷走。これらが日本企業の人材削減・会社の縮小や破たん・人材の入れ替え・国内拠点の海外移転などに直結するので、職業上の安定が急激に低くなっており、生活の安定度も落ちています。かといって、以前の高度成長時代を経験したり、その経験のある上司から指導を受けてきた現在の企業上層部は昔のやり方が一番良いと遺伝子の奥にまで書き込まれているため、企業の統制方針から文化まで、高度成長時代とはあまり変わっておらず、依然として社員はいろいろなことをやらされています。つまり、特に21世紀に入ってからの日本の労働者は、職業上の希望が無いままで生活の安定も無いという、悲惨な中で生きているかのようです。

非正規雇用の労働者もどんどん増えて、収入が減ったり仕事が不安定になってくると、結婚も困難になってきています。一方、引退して熟年にさしかかると、熟年離婚を奥さんから突き付けられびっくりする話は珍しくあります。さらに離婚せずにも、奥さん達は、「旅行はお父さんとはいきたくない。友達やいとこと行く。」とか、「病院に入院してくれてせいせいした。もう家には戻ってきて欲しくない。」など意外とよく聞く話です。もうキャッシュフローを入れない人的資産(つまり、引退した夫)は、すでに満期切れ。もう織田信長の「泣かぬなら殺してしまえ、ホトトギス。」の状態と同様です。それでは何故彼女らはこのような夫達と結婚したのでしょうか、あるいは離婚しなかったのでしょうか。それは、彼女らの現役の時代は、女性は労働力として教育される機会が与えられていなく、一度結婚すると労働力としても企業から認められなかったことと、一家の主が一人で家庭を支えるべきであるとする文化などのため、職業上の自由が憲法上はあっても実際には与えられなかったからです。経済力のある婿を本人の意思以上に両親などの周りに人間に迫られる傾向もありました。好きで結婚して後でイヤになっても離婚すると経済的に困窮するので、熟年まで我慢してきたのでしょう。そうであれば、その夫はもはや人ではない。金融資産です。それも満期切れの。「人面金融資産」と名付けましょうか。否、金融資産は、「めし、風呂。」「ちょっとあれ持ってきてくれ」と指図はしませんし、ましてや酒もギャンブルもやらないし当然暴力も振るわない。金融資産に価値の上下はあっても、現在の厳しい時代の夫の価値はよほどの能力がないかぎり下方しか考えられないので、前者の方がよいはずです。本当は、結婚するより不動産などの金融資産を買った方がはるかによかったのです。もちろん、唯一金融資産にはできない、子供を授ける力はありますが・・・。しかし、こんな家庭や人生は夫婦お互いにとって失敗なのではないですか。

それでは、どうしたらよいのでしょうか。会社も労働者も夫も妻も幸せではないこの時代はあまりにも暗い。総合職は、人材削減や会社倒産で失業になっても非常に弱い。景気が悪い中でも、セールス・技術開発・経理など専門職としてずっとやってきた人たちの方がはるかに労働市場価値が高く引く手があるのです。つまり各方面にそこそこの専門性しかない総合職は労働力としての価値が低いのです。企業も人材もこれからは、やたらとお金と時間の掛かる総合職を育てるのは止め、専門職を育て、専門職を目指すべきです。労働者も自分の好きなことや得意なことを専門職としていければ、人生も家庭ももっと明るいし、そのような労働者を採用し育成する会社も業績をあげやすいでしょう。そしてもう一つの新しい時代のキーワードは女子力です。女性が職業上でその能力を発揮することは、彼女らの自立に直結するので、結婚も動きの速い時代に不安定な要素である婿の経済力を条件にせずに、本当に尊敬ができ信頼ができる好きな男性となれば、「人面金融資産」ではなく、「人」との健全な結婚もできます。場合によってはより良い人生のステップとしての離婚も可能となります。格差社会で多く人達が収入を下げて、若者の就業も難しい中で、「人類史上稀の30年間の高度成長時代」であればこそ可能であった「夫だけが支える家庭」という幻想を皆が持ったまま、「結婚をしない、婚活もあきらめる、または結婚できない男女」を放っておけば国家の存亡さえ危ういといえます。女子力を生かせねば今の日本経済は持ちこたえられないでしょうし、社会の暗さがずっと続きますよ。

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総合職か専門職?もちろん専門職を目指さないと。専門職を育てないと。

In Uncategorized on 11月 6, 2012 by nows22

日本企業では従来総合職を育てることに人材育成の主眼を注いできました。専門職は技術職と同一語であるかのように「理数系の大学を卒業して開発や研究そして現場の技術革新に努める人たちを」指すもので有り続けました。しかし実際には専門職とはいっても、法務・会計・人事・経営企画・外商・買付・デザイン・広報等など多岐にわたります。特別・特殊な能力を必要としない単純作業などの職種を除きその範囲は広く、一時的に専門を割り当てられている総合職を含めればほとんどのホワイトカラーは、一過的な専門職ともいえます。そして定義としては、「専門職を一時的に浅くたくさん経験した人々」を総合職と呼んでもよいのでしょう。

ここでいったん日本の現状を見ていきましょう。テレビが分かりやすいと思いますが、アナウンサーとはいったい何をすべき人でしょうか。あるいはその定義はなんでしょうか。それは「情報をできる限り正確そして偏見や個人や一部のグループや組織の考えに偏らないよう客観的に迅速に簡潔により多くの人々やより広い社会に伝える」ことではないでしょうか。英国のBBCやフランスのドゥー、米国のメディアから中東カタールのアルジャジーラに至るまで短いニュースのテーマ曲が終わった直後から事実と詳細の情報の連続です。しかし日本では、民放はアナウンサーが自分の意見を言ったり事実の報道の会間にご意見番という漫才師やスポーツ選手・評論家などその報道と全く関係ない分野の人達から凡庸な意見を聞いててきとうにうなづいていることが非常に多いのです(あきれて私はチャ

ンネルを替えるのですが)。またアナウンサーの本来の仕事に対峙するかのごとく、効果音や音楽で盛り上げたり吹き出しすらありますが、視聴者は知性より感受性が高いのだと見下げているようですが・・・。そしてランキングの一位や二位を指して「じゃーん」と言って驚いたり騒いでみせるのが報道の役割でしょうか。ニュースとお笑い番組の垣根が無さすぎます。彼ら彼女らは局やアナウンサー学校からこのような教育と指導を受けてきて疑問に思わないのでしょうか。田原総一郎氏のように一度にアナウンサーとインタヴュアーとご意見番をするようなある種の天才のまねをせず、彼の専売特許としておくべきではないでしょうか。いずれにしてもこういった報道側の姿勢は、見る人に偏見と報道元の考え方の押し付けとなり、知らず知らずのうちに視聴者の考え方に刷り込まれてくるはずです。一部のNHKの報道ですら同様の傾向が見えてしまうのは情けない限りです。もちろん大阪市長の門地・出身を中傷に使った報道機関は論外です。人でなしです。報道期間の管理職もアナウンサーもご意見番も誰にでもできる浅い総合職と化しているのが分かります。国家にもヤクザにも負けない程の理念と信念が報道機関の一番の売りのはずですが・・・、ここでも一部のロシアの反体制のメディアの崇高さに完全に負けています。

今回の米国のオバマ大統領とロムニー大統領候補の大統領選を見ても、どの米国の放送局も一言も「どちらが何歳でどちらが何歳」「こちらが黒人であちらが白人」など個人の生物学的な情報は流さないのです。偏見で大統領が選出されるようなことがあってはならないといったような職業倫理を持った専門家が報道機関にたくさんいるのでしょう。米国でもこういった偏見の情報はお笑い番組や地方の集会にはあるようですが・・・。大統領選挙から就職まで実力次第 ・実績次第・人物次第・優れた考え方次第・健康次第であって、我が国の様に候補者が何歳で男か女か出身や政党ならず派閥はどこかなどが選択の大きな柱として報道しているのは先進国としては失格です。

今、技術の海外流出が叫ばれていますが、企業の採用は依然として新卒一辺倒です。これに対して、年齢も民族も男女も関係ないとして高額で有能な技術者を引き抜く台湾や上海の企業に花を持たせる結果となっています。つまり実力次第・実績次第・職業意識と見識しだいで選択をしているので、生物的な要素は関係ありません。偏見を生み出す報道機関だけが例外ではありません。会社の採用や昇進などの人事も同様です。このような日本企業の一般的な人事部長や人事部は専門職として本当にプロフェッショナルと言えるのでしょうか。

例はさておき、総合職を育てるのは高度成長時代の日本のひとつの強みであったかと思います。「周りを理解して気を配れ、昇進をして役員などの地位にいつか就きたいのなら総合職であるからいろいろな職を渡り歩かせるから馬車馬にようにして働け、工業化社会であるから技術者以外は専門を持たずに難しい専門的なことを言わずに手をとりあってチームワークを乱すな。」というような論理であったと思いますし、それが一時は日本株式会社といわれたように日本の企業の間違いのない強みであったと思います。しかし、バブルがはじけ21世紀となると会社員という言葉が、正規雇用/非正規雇用・臨時・派遣社員・契約社員・外部委託・プロジェクトを他社と組んだ同社に居る他社の職員・パートに特定の雇用者をもたないフリーランス・親会社より出向・親会社のバックオフィスの代行・部署とは別のプロジェクトの役割など多彩になり働きかたもフレックスタイムや在宅勤務など多様化していることからも分かるように実際に企業に必要なのは専門職がほとんどである事実があります。それなのに未だに総合職を育てようとして人材の強みを引き出せていないのが一般の日本企業です。言い換えると、能力がどこにも発揮できないが調整とチームワークには長けている従業員が多くいるのが現代の日本企業の弱みであるのだと思います。

報道機関だけではなく、東電から中小企業まで技術者以外は知識と経験の浅い総合職が極めて多いのです。さらに専門職にも専門外の電話取りから掃除までを強いてきて、専門職の底上げをしてこなかったことが日本が失われた20年から脱出できない大きな理由となっているのだと思います。確かに欧米などでは専門職の能力が非常に高く、その反面情報と責任の受け渡しが部署や職員個々人を超えて疎通せず、うまくいかないもどかしさがありました。しかしITソフトによる業務管理や情報の共有など影響でこの弱みも格段に小さくなっております。現代の先進国の産業構造の中では専門職の力が国家の強みと個々の企業の強みを伸ばす鍵となっており、単純作業と大量生産は新興国に任せる傾向となっています。「日本の最大の力は技術力である」とはよく言われるのですが、それを支えてきたのは技術者という専門職です。「他の分野に本物の専門職がほとんど居なかったから技術力だけが最大の強みとして残った。」といっても過言ではありません。もっとたくさんの分野で専門職を育成するのが今後の日本全体の強みを生かすもっとも大きな武器であり、それは個々の企業にとってもいえることであります。

浅い総合職

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少子高齢化の進む日本では、女性という最大の資産を活用すべし

In Uncategorized on 10月 22, 2012 by nows22

左の資料は英国エコノミスト誌のものであり、2011年のアジアの女性の労働市場での状況を示すものです。まず右に関して、仕事を持っている日本女性の率はアジアでは中くらいの位置にあります。しかしながら左のグラフを見てみると、濃い青の女性の取締役会に属する役員については韓国に次いで低い約2%、薄い青の女性の執行役員に関しては最低の約1%となっております。女性の管理職が男性に対して6割を超すフィリピンと言う特異な例もありますが、アジア以外に目をむければさらに女性の社会進出は進んでおり、日本と韓国以外の先進国では3割台から4割台の女性の管理職の率が普通となっております。

慶応義塾大学の津谷典子教授の指摘によれば、女性が子供を産めば生むほど働きに出る率が低くなる、との認識は30年ほど過去のもので、21世紀の常識は女性が沢山生むほど、しっかり社会で働くというものに変わっているとのことです。日本では少子高齢化が世界で最も加速しているにも関わらず女性の社会進出が制度面でも文化面でも遅れております。女性がしっかり働ける環境を作り、企業による研修や教育の機会を与え、その能力と実績をしっかり評価していかなければなりません。人材はすぐには成長できません。いろいろな機会を与えても数年や十数年をかけて育成しなければなりません。職場と家庭における男性と女性自身の意識も変えていかねばなりません。特に日本では、30年も高度成長が続いた時期があるため女性の専業主婦化がすっかり文化に溶け込んでしまい、主婦達がそこから知的または技術の必要な職種へ抜け出すのは至難の業です。時間が掛かるので行政や立法はこれらのことを踏まえて、今すぐ始める必要があります。いきなり企業に3割以上の女性の取締役を押し付けては男性はおろかまだ企業人としての成長をしつくしていない女性からも反発がでてくるのは必至だからです。

男性も長時間労働やサービス残業・夜の付き合いなどで家族で話したり子供を教育する機会を失っているので、その働く時間を女性に分け与えることができればより健全な家庭を築くことも可能でしょう。そして男性もPTAを通して学校教育にもかかわるべきです。これは日本人の労働効率が低いのではないかという指摘にもかかわってきます。知的な働きが多くの価値を生む現代では長時間労働は頭脳の働きを阻む敵であり、この点からも女性の職場での活躍が期待されます。

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良い叱り方、悪い叱り方ー否、そんな話ではなくて・・・

In Uncategorized on 9月 14, 2012 by nows22

最近は職場で上司が上手く部下を叱れないとの悩みがあると報道されています。「良い叱り方」と「悪い叱り方」についてこれから話をすすめるとは言いません。このブログの運営者は異能なので(悪く言えば変人ですね)、「叱る」こと自体について論じていきます。

世界では「叱る」といる行為はどの様に考えられているでしょうか。ほとんどの世界で共通なのが「大人が子供を叱る」という行為です。教育的な意図があり、かつ叱り方の限度や行い方に問題がなければ大事な教育のための手段と考えられてます。それでは、「子供が子供を叱る」というのは、どうでしょうか。これは子供が未熟な存在であるので、イジメにつながったり、尊大なガキ大将を作ってしまってもこまるので、奨励されていないのは当然でしょう。さらに「大人が大人を叱る」となれば、どうでしょうか。

私の経験を話します。英国のスコットランドに住んでいたころに、外国の学生は一定時間以内のパートの仕事しかできないので、ホテルのパーティなどで給仕をする仕事をしておりました。あるホテルの大きなパーティで、おそらく20数名の給仕がいたでしょうか。そしてそれを取り仕切ってたホテルの従業員が我々の臨時の上司でした。軍隊出身の中年女性で、指揮はもちろん軍隊方式です。音楽もそれなりの大きめの音量だったこともあり、お客さんの近くでも平気で給仕をどやしつけます。私の妻をはじめ、韓国人や東南アジア人の給仕の4~5名は怖くて緊張状態でしっかり返事をして従ってました(私は違ったのですが・・・まったく変わり者の日本人ですね)。それが他の国の人たちはどうでしょう。私のように全く彼女の怒りを気にしてません。それも欧州人・アメリカ大陸人・アフリカ人もすべからくです。北アフリカの3人などはへらへら笑って話を聞いているだけで無視状態です。「指示事項はわかるし従うが、あなたの感情は自分には関係ない。」または「仕事なので従うがが、神でもあるまいし、こちらからお金を払って拝聴・受講しているわけでもないのに、たかが普通の人間に大人として精神まで支配されたくない」ということでしょう。それも大方の国の給仕等はこういった言い訳も考えず、自然に彼女の怒りを無視しているようでした。

「大人が大人を叱る」に関しては、この国ではかつて職場などで人材管理の最良且つ効率的なやり方であり、大方は現在にも引き継がれています。かつて日本企業にいた私のように、叱られて直ぐ反省して今後どの様にすると失敗しないかを考えて5分後に復活して普通の状態で仕事をしていると、「なんだ、反省していないのか。」とさらに叱られていたような人は別として、普通の日本人は叱られる経験をかみしめて成長していくのだと思います。しかしながら、この様な「大人と子供」を反映したやりかたで組織を治めるのもはや困難でしょう。叱り方を変えるというのではなくて、「叱る」ことが良いのか効率的なのかの根本的な議論が必要でしょう。テレビなどではいきなり「上司の叱り方」の特集などで問題の根本から一気に飛躍していることが多いです。またそれに疑問を挟まず言われた通りに一緒に考えていく視聴者も暗記教育・管理教育の被害者と思うのですが。

しかし現代では、増えた非正規雇用・年上の部下・上下関係の層が減った新しい組織・プロジェクトがいくつも重なった業務形態となると「叱る」管理は難しくなってきます。さらに専門家としての出向・業務提携をしている他社の従業員・合併後の元別会社の従業員同士の文化摩擦・買収の場合はさらに難しくされた側と下側の上下関係と文化摩擦・外国人の雇用や外国人経営者の抜擢・女性の社会進出など、誰に「叱って育てる」権利があって、それが本当に正しいのか効率的なのかに疑問が増えつつある状況です。

「叱ってほしい」という若者もいます。しかし、これは一種の甘えの構造なのだと思います。これは職場でもどの様な組織にもいえることと思います。「子供として扱ってほしい」との主張ですから。自ら考えることを放棄するための言い訳かもしれません。

これからの組織では、上長は「叱る」のではなくて、

1.考えさせる

2.考えを述べさせる

3.組織の理念や方針と本人の考えに相違があるかどうかを一緒に検討

① 相違がなければ、4.に進む。

② 相違があれば、組織の理念や考え方に同調できるかを検討してもらい、そのための条件や環境設定などを話し合い、本人に変えてほしい方針があれば文書にて申請してもらう。それでも了解しない場合には、組織の中にいるべきどうかを話し合う。

4.①または②が解決した場合は、上司の考えと本人の考えに相違があればさらに話し合う。片付かかなければ上位者や外部の専門家などが第3者が中に入るか、本人または双方の研究課題として後日再度話し合う。

「相違があれば問題として採りあげる」ので、時間に余裕のない場合は、上司の職権で実際の問題を処理して後で話し合う。

今回は以上です。

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福島の蝶に奇形‐日本の報道はやはり政治寄り?

In Uncategorized on 8月 19, 2012 by nows22

海外の科学専門誌に日本の科学者等が福島の原発の近くの蝶を採取し調べたところ多くの奇形が見られたという研究結果が発表されました。3~4日前にはNHKのBS・World Wave Morningでこのことに関する海外のメディアの報道が一部ありました。そこでGoogleで検索をしてみました。英国だけでも放送局のBBC、新聞社のディリ―テレグラム・ファイナンシャルタイムズなどの複数のメディアで記事になっており、米国・フランスをはじめ西側先進国でも多数取り上げられてます。YouTubeでも海外作成のものでは複数のビデオを見ることができます。いかに原発に関しての興味が高いかが分かります。

さて、日本語で検索をしてみました。2チャンネル系で地味に書き込まれている以外は情報がありません。大手のメディアは皆無です。現在原発の復旧に関する論議や抗議のデモ活動が活発な状況でこのような報道が流れるとまずいと判断するのはどの筋でしょうか?やはり政府筋や原発の地元の自治体の筋などでしょう。しかし、事実があってこその意見で、事実に基づく意見があってこその決断です。情報をしっかり公開したうえでどうすべきかの議論がなければなりません。当事者の日本国でこれに関する報道がなされないなど本末転倒ではないですか。

情緒に流されやすいこの国の国民は、現在尖閣諸島や竹島の問題と消費税の問題について報道からワイドショーに至るまで喧々諤々の議論や叫びが聞こえているのでこればかりに気持ちが集中している ようです。福島の蝶の奇形の問題については、あたかも政府が大手マスコミにこれ以上国民を刺激しないでくれとの指導があったかのように見えます。これで良いのでしょうか?